阿高黒橋貝塚(読み)あだかくろばしかいづか

日本歴史地名大系 「阿高黒橋貝塚」の解説

阿高黒橋貝塚
あだかくろばしかいづか

[現在地名]城南町阿高 東原、下宮地 萱木

阿高貝塚は御領ごりよう貝塚の北西約二五〇メートルのところにあり、大正五年(一九一六)の整地削土の際、多数の土器石器・骨角器とともに五十数体の人骨が出土して有名となった。その後研究が進められ、縄文中期の標式遺跡として位置づけられ、土器に施文された大型凹文は九州の中期以降の土器文様に大きな影響を与えている。昭和四七年(一九七二)七月の水害により、同貝塚対岸浜戸はまど川右岸堤防が欠壊し、貝層が露出し、黒橋貝塚とされた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「阿高黒橋貝塚」の解説

あだかくろばしかいづか【阿高-黒橋貝塚】


熊本県熊本市城南町にある貝塚遺跡。熊本平野の南縁部、木原山の北東山麓の丘陵端、波戸川左岸の標高14mに阿高貝塚、北側の浜戸川右岸、標高3mに黒橋貝塚が所在する。1916年(大正5)の耕地整理事業によって阿高貝塚が発見され、多数の土器・石器とともに50体以上におよぶ縄文時代の人骨が確認された。熟年女性には左腕にアカガイ製貝輪2個をはめた例があった。1972年(昭和47)には、豪雨で氾濫した浜戸川の激流によってえぐられた水田面から新たに黒橋地点の貝塚を発見。その後の調査で、両地点が縄文時代中期から後期前半にわたって継続して営まれた一つの遺跡で、時代が下るにつれ、阿高貝塚から黒橋貝塚地点へと中心地がやや移動していることが判明。1980年(昭和55)に国の史跡に指定された。出土遺物には多量の土器があるが、とくに太い沈線で文様が描かれ、縄目文様がない阿高式土器は九州地方における縄文時代中期の標式とされている。貝層中にはマガキハマグリなど37種の貝類及びフグマダイなど15種の魚類のほかイノシシ、シカイヌヘビカエルなどの存在が確認されており、当時の生産や生活事情を知るうえで貴重な遺跡とされている。JR鹿児島本線ほか熊本駅の熊本交通センターから熊本バス「黒橋」下車、徒歩約5分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「阿高黒橋貝塚」の意味・わかりやすい解説

阿高・黒橋貝塚
あだかくろばしかいづか

熊本県熊本市南区城南町阿高(じょうなんまちあだか)から城南町下宮地(しもみやじ)黒橋にわたって広がる縄文時代の貝塚遺跡。阿高貝塚は熊本平野南縁の台地上を中心に東西50メートル、南北120メートルの広がりをもつが、浜戸(はまど)川の対岸にある黒橋貝塚と連続していることから、現在では両者をあわせた名称でよぶ。貝塚は下層にマガキ、イワシの骨、上層にヤマトシジミ、ウナギの骨が多く、付近の水域の変化を示す。貝層中からは埋葬人骨が50体以上発見されている。太い凹線による曲線文をもつ深鉢(ふかばち)形土器は阿高式とよばれ、九州の縄文中期を代表する。実年代は約4500年前。国指定史跡。

[春成秀爾]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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