改訂新版 世界大百科事典 「雉本朗造」の意味・わかりやすい解説
雉本朗造 (きじもとろうぞう)
生没年:1876-1922(明治9-大正11)
明治・大正期の民事訴訟法学者。愛知県生れ。〈ろうぞう〉という呼び方は長じてからのもので,本来は〈ときぞう〉といった。1903年東京帝国大学法科大学を卒業。司法官試補,京都帝国大学法科大学講師を経て,04年同大学助教授。同年よりイギリス,ドイツ,フランスの3国に留学,08年帰国し同大学教授となった。09年台湾総督府法案起草委員となった。18年京都帝国大学法科大学長に補せられた。京都大学教授のかたわら立命館大学を経営し,同大学の事業として大阪に日本法律研究所を設け,一般人からの依頼をも受けて法律の質疑に応じた。1919-23年の愛知県鳴海の小作争議においては,農民の要請を受けて調停に関与。22年3月,別府温泉からの帰途,船上より行方不明となり,不慮の死を遂げた。民事訴訟法,強制執行法,破産法等に関する卓抜した論文,判例批評を多数発表し,日本の民事訴訟法学の学問的基礎を構築した。主著として,生前に発表した《判決批評録》(第1巻1917,第2巻1921),死後その門弟によって編集された《民事訴訟法論文集》(1928),《判決批評録》(第3巻1929)がある。
執筆者:青山 善充
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報