雪蹊寺(読み)セッケイジ

百科事典マイペディアの解説

雪蹊寺【せっけいじ】

高知市長浜にある臨済宗妙心寺派の寺。本尊薬師如来。空海の創建と伝え,高福寺と号したが,慶長年間(1596年―1615年)に長宗我部氏が菩提所と定め寺号を改めた。南村梅軒の門人天室が住して以後南学の道場となった。湛慶作の毘沙門天・吉祥天・善膩師(ぜんにし)童子立像ほか鎌倉彫刻の名作が多い。
→関連項目湛慶

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

雪蹊寺
せっけいじ

高知市長浜にある臨済(りんざい)宗妙心寺派の寺。高福山(こうふくざん)と号する。本尊は薬師如来(にょらい)。四国八十八か所第33番札所。延暦(えんりゃく)年間(782~806)空海によって開創され、初め保寿山高福寺といい真言(しんごん)宗の寺であったと伝える。その後、慶雲寺と称したが、運慶(うんけい)・湛慶(たんけい)がこの寺の本尊、脇侍(きょうじ)などを補修したのにちなむともいう。安土(あづち)桃山時代には長宗我部元親(ちょうそがべもとちか)の援助により月峰(げっぽう)が中興して臨済宗となる。1599年(慶長4)元親が没すると嗣子(しし)の盛親(もりちか)はこの寺を菩提(ぼだい)寺と定め、元親の法号にちなんで雪蹊寺と改称した。明治維新のとき一時廃寺となったが、1880年(明治13)大玄が再興した。鎌倉盛期の仏像の宝庫で、木造薬師如来および両脇侍像、湛慶作の木造毘沙門天(びしゃもんてん)、吉祥天(きちじょうてん)、善膩師(ぜんにし)童子像は国重要文化財に指定されている。[菅沼 晃]

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精選版 日本国語大辞典の解説

せっけい‐じ【雪蹊寺】

高知市長浜にある臨済宗妙心寺派の寺。山号は小林山。延暦年間(七八二‐八〇六)空海が創建し高福寺と称した。のち鎌倉初期に仏師の運慶・湛慶が来て仏像を作製したことから慶雲寺と改めた。天文年間(一五三二‐五五)には南村梅軒の弟子天室が住み、南学の道場となる。慶長四年(一五九九)月峰禅師が中興し、現名に改称。長宗我部氏の菩提寺。四国霊場八十八か所第三三番札所。

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