日本歴史地名大系 「西川村」の解説
西川村
にしかわむら
天和三年(一六八三)九月一日の日光大地震により、当村および五十里村との境にある葛老山が崩れ、湯西川と五十里川の合流地点で川を堰止めたため、両河川の上流部に天然の五十里湖が出現した。
西川村
にしかわむら
西川村
にしがわむら
西川村
にしかわむら
西川村
かさいがわむら
西川村
にしかわむら
常光寺村の北に位置し、東端を中国街道が通る。東は
西川村
にしかわむら
西川村
にしがわむら
西川村
にしがわむら
上八川村の北方、上八川川の支流枝川下流域と、東南流して枝川に流れ込む谷川の流域に集落が点在する。上八川村の枝村。「土佐州郡志」は村内に「有葛川・取藪・松之木・中西・大西・川口・狩山・岡田平・中平・池之窪・大崩等地名」と記し、西隣する清水村域の松之木集落などを西川村とする。これは「南路志」も同様で、一部飛地があったのであろうか。枝川流域の
天正一八年(一五九〇)の後山小川村地検帳には、上八川内西川村四一筆、同葛川村二四筆、同葛ノ村二四筆、同狩山村三筆などが記されるが、西川村には二良左衛門の五反二〇代の栗ノ木屋敷(二軒あり)、葛川村には左衛門尉の九反三二代の屋敷など広い屋敷地を有する者が記される。
西川村
にしがわむら
西川村
にしがわむら
西川村
にしがわむら
西川村
にしがわむら
西川村
にしがわむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報