風浪宮(読み)ふうろうぐう

日本歴史地名大系 「風浪宮」の解説

風浪宮
ふうろうぐう

[現在地名]大川市酒見

宮内みやうち鎮座する旧県社。祭神は中央に底津・中津・表津の三少童命、左に住吉大神・神功皇后、右に高良明神を祀る。風浪将軍ふうろうしようぐん酒見さけみ社・風浪権現・風浪大権現とも称し、現在「おふろうさん」の通称で親しまれる。社伝によれば、神功皇后が朝鮮遠征から帰国の際、筑後国葦原津(榎津に比定される)で見た白鷺が飛んでいった地に、武内宿禰に命じて阿曇連磯良丸を斎主として少童命を祀らせたのが始まりと伝える。応神天皇元年に現在地に遷座したという。建仁元年(一二〇一)の高良宮造営田数注文に「酒見社」とあり、高良こうら宮下宮御宝殿の造営料田として四〇町とある。境内の正平一〇年(一三五五)一〇月日造立の五重石塔は、願主沙弥道慧・道一が「筑後州酒見村当所九十九所大権現之御宝前」に「当村安穏、万民快楽、乃至法界、平等利益」を祈念して造立したものである(有明地方石文集)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「風浪宮」の意味・わかりやすい解説

風浪宮
ふうろうぐう

福岡県大川市酒見(さけみ)に鎮座。俗に「おふろうさん」とよぶ。少童命(わたつみのみこと)、息長足姫命(おきながたらしひめのみこと)、住吉(すみよし)大神、高良玉垂(こうらたまだれ)命を祀(まつ)る。創建年代不詳。社伝で、神功(じんぐう)皇后三韓(さんかん)より凱旋(がいせん)、筑後(ちくご)国芦原(あしわら)の津(大川市榎津(えのきづ))にこられたとき、白鷺(しらさぎ)が現れたので、その白鷺を少童命(海神)の化身とし、その止まった地に武内宿禰(たけしうちのすくね)に命じ奉斎させたのが起源という。以後、海上守護神として崇敬される。現社殿は1560年(永禄3)の造営、明治の制で県社。例祭1月29日、ほかに旧3月28日より5日間の火清鳴弦祈祷(ひきめごきとう)、旧暦4月3日の海神祭(おきまいり)などがある。当社神主家阿曇(あずみ)氏は神功皇后三韓遠征時の船師磯良丸(いそらまる)の子孫と伝う。

[鎌田純一]

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デジタル大辞泉プラス 「風浪宮」の解説

風浪宮

福岡県大川市にある神社。「おふろうさん」とも。室町時代に建てられた本殿、石造五重塔は国の重要文化財に指定されている。

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