翻訳|dining car
調理室と食堂のある客車。1867年アメリカの発明家プルマンGeorge Mortimer Pullman(1831―1897)がつくったのが最初といわれている。日本では1899年(明治32)5月に山陽鉄道(現在のJR山陽本線)が瀬戸内海の汽船に対抗して急行に連結したのが最初であるが、8人分の席しかなく、食堂付き1等車というべきものであった。調理用の熱源には長らく石炭が使われたが、後に電気になった。海外ではプロパンガスを使用している例もある。食堂車は長距離を走る在来線の特急列車や新幹線を中心に連結され、営業していたが、鉄道の高速化による乗車時間の短縮などにより、その利用者は減少を続けた。これに伴い在来線の食堂車は減り続け、2000年(平成12)3月には新幹線の食堂車も営業を停止し、持ち帰り形式のカフェテリアや自動販売機に切り替えられ、2003年にはカフェテリアも廃止された。ヨーロッパのTGV(テージェーベー)やユーロスター等では、航空機の機内食と同様に、あらかじめ調理した食事をサービスするようにして食堂車をなくしたものもある。また、観光用として車内での供食を売り物としたイベント列車が登場しており、これらは新しいタイプの食堂車といえよう。
[吉村光夫・佐藤芳彦 2016年9月16日]
乗客に飲食物を提供するために,調理室や食堂を設けた鉄道車両。日本で最初の食堂車は1899年5月25日に私鉄山陽鉄道の京都~三田尻間の急行列車に登場した。車両は3軸ボギー車で,全長15m,幅・高さとも2.4m,重量211/2米トンで,車室は3部に分かれ,その1室の8人座席の食堂は厨房(ちゆうぼう)内にレンジと流しを備え,他の2室は8人定員の一等寝室,および洗面所,便所,乗務員用であった。メニューは洋食のみで,一・二等客専用であった。官営鉄道の食堂車は,1901年12月15日東海道本線新橋~神戸間の急行列車に連結された洋食専門の半車食堂車(他の半車は二等車)が始まりである。しかし,三等客は利用できず,現御殿場線区間と逢坂(おうさか)山の急こう配のため,食堂車連結は新橋~国府津(こうず),沼津~馬場(ばんば)(現大津市),京都~神戸に3分割されていたが,03年に全車となり,同時に全区間連結となった。初めての和食堂車は06年4月の東海道本線三等急行で,そののち四国を除く各幹線の急行,特急に食堂車が連結され,和洋の別は時刻表に載せられた。また,初めてのビュッフェは二等室との合造で,1901年に大阪(湊町)~桑名~名古屋の関西鉄道に登場した。なお,世界最初の食堂車は,1868年アメリカのシカゴ・ノースウェスタン鉄道におけるものである。
執筆者:藤野 英夫
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…また客室の形態も,ヨーロッパでは個室に区分することが多かったのに対し,アメリカでは開放型を採用していた。寝台車,食堂車など特殊用途の客車も,19世紀後半に登場している。日本では1872年(明治5)の鉄道開業時にイギリスから輸入した2軸客車58両を使用したが,3年後には国産(車軸は輸入)の2軸客車が製造されている。…
※「食堂車」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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