〈飯場〉は労働者の合宿所を意味する言葉であるが,〈飯場制度〉とは飯場頭を中心とする労働請負制度であり,土建業で最も一般的である。かつては鉱山業,林業,その他でも広く見いだすことができた。九州の炭鉱等で納屋,沖仲仕では権造部屋と呼ばれたものは,細部で若干の差異はあっても,本質的には同性質のものである。機能は大きく分けて労働力募集,作業監督,生活管理の三つが含まれ,事業主が労働面には直接タッチすることなく,一定の契約ですべてを飯場頭に一任する。飯場頭は自己の責任で必要な労働力を募集し,自己の所有する宿舎に収容して食事を給し,労働者の出稼(しゆつか)=労働管理を行って仕事をやり上げる仕組みが典型である。ただ機械化が進み,労働力にそれなりの技術と生産の計画性が要求されだすと,しだいに資本の直接的統轄に進み,炭鉱,鉱山等では作業監督機能を欠落したものが多くなった。
このような飯場は,統轄者としての飯場頭と中間幹部としての棒頭,助役(すけやく)が中心になり,それぞれに労働者が分属して,書記としての〈帳づけ〉がいるというのが一般的構成である。飯場の大きさは大小実にさまざまで,大きなものではさらに多くの階層に分かれ,その名称も所によって若干の相違がみられるが,飯場頭,中間幹部,労働者の3者から構成されることには変りがない。労働者は多分に浮動的であるが,飯場頭と中間幹部は親族関係その他で強い結合関係をもち,幹部はそれぞれ募集圏をもって,必要時にどれだけの労働力を集めうるかによって,その勢力が決まった。飯場制度は,本質的に労働請負制であるから,賃金等も一括して飯場頭が受け取り,各自の働きに応じて分けてやるのが普通であり,その間で収奪が行われたり,食事の代償として食費を取るが,それすら収益の対象とされた。ことに労働供給源から遠い作業場等では,かさんだ募集費を取り戻すために1人当りの作業量が自然過大となりがちで,反抗や逃亡に対して暴力ざたが発生することも少なくなかった。飯場に監獄部屋とかたこ部屋等の名称が発生したのはそのためである。ただし,第2次大戦後は労働基準法の施行等もあって,たこ部屋的側面は漸次解消され,また,技術革新のなかで作業監督機能もなくなるなど,飯場制度は現在では大きく変質している。
こうした制度は日本ばかりでなく,中国では把頭(パートウ)制とか苦力頭(クーリートウ)制,朝鮮では徳大制等と呼ばれ,イギリスでかつてバッティ・システムbutty systemといわれたものも,同性質のものと考えてよい。
執筆者:松島 静雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
主として金属鉱山で飯場頭役(とうやく)が経営する飯場に配下坑夫を居住させ、作業請負する制度である。近世には、金児(かなこ)が配下坑夫を採鉱に従事させ、山小屋と呼ばれる簡易住居に居住させた。それが近代に受け継がれて飯場制度となり、さらに土木建築工事現場にも拡がった。
鉱業生産の主体になる坑夫や支柱夫は、企業が職能訓練せず、必要な技術を職親が教育訓練する友子(ともこ)制度に依存する体制が手掘採鉱が続く戦前まで採用された。近代鉱山では既存鉱山再開発や新規鉱山開発が進み、必要な熟練労働力の争奪が激化する。その調達と日常管理をし、鉱山主から任命される飯場頭に作業請負が委ねられた。飯場は請負代金を一括して代理受領し、同時に居住に関わる生活物資一切を供給し、立替代金を口銭とともに支払賃金から控除して支払った。
飯場は坑夫飯場と雑夫飯場に二分される。坑夫飯場は手掘採鉱に従事する坑夫の質・量を確保することが強く求められた。しかし坑夫は流動性が高く、より有利な鉱山へ移動したから、圧制は通用しない。雑夫飯場は坑夫の補助作業者が対象で労働定着率が高いから、人員を最大限確保し、出面(でずら)を高めることで経営を安定化した。
近代前期には、飯場と友子の共存関係が続いたが、その後組織的採鉱に転換したため飯場の作業請負は崩壊、飯場は日常管理での収奪を強めたため両者の敵対関係が激化した。これと間代(けんだい)(掘進単価査定額)の適正化を求め、1907年(明治40)と1919年(大正8)の足尾銅山争議での大きな焦点となった。争議を契機に飯場制度改革を進め、1920年鉱山の労資懇談制の一翼を担う世話役制度に転換した。飯場には「足尾型」と「日立型」がある。後者は大飯場制を当初からとり、要員募集と労務管理に特化した後期飯場制から出発した。
なお、納屋制度(なやせいど)は、近代炭鉱前期の単純な採炭と出炭に従事する未熟練労働力を調達、その囲い込みと暴力的収奪が顕著だった。飯場制度の変形とはいえるが両者の違いも大きい。
[村上安正]
『労務管理史料編纂会編『日本労務管理年誌』第1編上巻(1962・日本労務管理年誌刊行会)』▽『大山敷太郎著『鉱山労働と親方制度』(1964・有斐閣)』▽『左合藤三郎編・刊『古河鉱業・使用人一般状況』復刻版(1986・洞叢2)』▽『村上安正著『足尾銅山史』(2006・随想舎)』
第2次大戦前の鉱山における鉱夫統轄制度。主として金属鉱山や北海道の炭鉱などで採用され,九州の炭鉱などの納屋(なや)制度も同質。その本質は労務供給に関する中間請負制度で,経営と鉱夫との関係は実質的に間接雇用であった。飯場頭が労働の指揮,鉱夫の募集,鉱夫生活の管理を所属経営者から請け負い,その報酬として鉱夫の賃金総額に応じた手数料を受け取り,鉱夫賃金を代受し,飯場の経営を行った。鉱夫の虐待,飯場頭の勢力争いなどの弊害をともなったためしだいに改善され,明治期後半から廃止する鉱山も出現。1920年代に労働運動の台頭,政府からの行政介入,坑内作業の機械化の進展,鉱夫管理体制の改革がみられ,有力鉱山では飯場制度が最終的に廃止された。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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…たこ部屋ともいう。金属鉱山での飯場制度,炭鉱での納屋制度に対して,土建業のものを指す場合と,この3者の総称として批判的価値観を含ませて使う場合とがあるが,総称としては飯場制度の語が一般的である。このような制度は,資本主義発達の初期には,そのころ多数生じた浮浪者や困窮した農民を供給源にして,比較的熟練を要さない分野で広く世界にみられたが,日本の場合は,とくにその改善が遅れ,第2次大戦後もなお存在した。…
※「飯場制度」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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