社伝では崇神天皇三〇年の鎮座という。天平九年(七三七)の但馬国正税帳(正倉院文書)に「養父郡養父神戸」とみえ、この租代が「百五束五把」であることや「養父神戸調
六匹四丈五尺」を買うために「直稲四百五束」が充てられたことがみえる。「新抄格勅符抄」に引く大同元年(八〇六)の牒によれば養父神の神封は四戸で、但馬国内に充てられていた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
…山間部の農村では和牛(但馬牛)の飼育やブロイラー生産などの多角経営が進められている。養父市場にある養父神社は牛の神,農業の神として信仰を集め,北東部の大藪には6~7世紀ころと推定される140余の古墳群がある。建屋のヒダリマキガヤは樹高30m余の巨木で,天然記念物に指定されている。…
※「養父神社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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