コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

養賢堂 ヨウケンドウ

4件 の用語解説(養賢堂の意味・用語解説を検索)

デジタル大辞泉の解説

ようけん‐どう〔ヤウケンダウ〕【養賢堂】

元文元年(1736)仙台藩が創設した藩校。

出典|小学館 この辞書の凡例を見る
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

百科事典マイペディアの解説

養賢堂【ようけんどう】

陸奥(むつ)仙台藩の藩校。1736年藩主伊達吉村(よしむら)が学問所を設立,明倫館養賢堂と称したのが起源。1772年養賢堂と命名。19世紀に入ると大槻平泉らが現れて隆盛となり,後には,漢学のほか歌学,洋学,算術等も教えた。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. ご提供する『百科事典マイペディア』は2010年5月に編集・制作したものです

大辞林 第三版の解説

ようけんどう【養賢堂】

仙台藩主伊達吉村により、1737年に創設された藩校。

出典|三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

養賢堂
ようけんどう

仙台藩の藩学。1736年(元文1)城下三番町に学問所を創設、明倫館養賢堂と称した。宝暦(ほうれき)年中(1751~64)一番町へ移転、拡張、1759年(宝暦9)「養賢堂」と改め、藩主伊達重村(だてしげむら)親書の額が掲げられた。1777年(安永6)聖像を安置し盛況を呈す。1808年(文化5)学舎改築の建白を機に、大槻清準(おおつききよのり)ら立案の周代明堂の古制にのっとる大規模な計画が採用され、17年講堂が竣工(しゅんこう)、さらに先聖殿、学寮、学監居宅を建設、剣槍(そう)術教場、柔術教場、蔵版・印刷所、書籍板木(はんぎ)蔵、調練所などを整え威容を誇った(1945年戦災により焼失)。学田1万2000石を付して経営。藩士に儒学中心に文武両道を授けた。また嘉永(かえい)・安政(あんせい)期(1848~60)に日講所を設け、農商に俗語による講釈を行った。[木槻哲夫]
『文部省編・刊『日本教育史資料1 巻3 東山道』『日本教育史資料1 巻3 附図』(1889) ▽八幡堂太郎「仙台藩と養賢堂」(宇野哲人編『藩学史談』所収・1943・文松堂書店) ▽城戸久著『藩学建築』(1945・養徳社)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

養賢堂の関連キーワード日新館安達雲斎(初代)新井剛斎大内定盛高橋容斎高屋宋甫伊達宗敦田辺楽斎芳賀潜庵山岸介庵

今日のキーワード

大寒

二十四節気の一つ。元来,太陰太陽暦の 12月中 (12月後半) のことで,太陽の黄経が 300°に達した日 (太陽暦の1月 20日か 21日) から立春 (2月4日か5日) の前日までの約 15日間で...

続きを読む

コトバンク for iPhone

養賢堂の関連情報