香積寺跡(読み)こじやくじあと

日本歴史地名大系 「香積寺跡」の解説

香積寺跡
こじやくじあと

[現在地名]東郷町南瀬・藤川

南瀬の城が原のうぜのじようがはるの台地上にあった曹洞宗寺院。鹿児島福昌寺末。不二山と号し、本尊地蔵菩薩。古く藤川ふじかわ村の庵袋あんぶくろに菅原神社(藤川天神)別当寺として創建され、中世には当地方の禅宗の名刹の一つとして知られた。のち衰えて久しく廃寺状態になっていたが、寛文六年(一六六六)普峰京順が当地に再建して師の奪臾全珠(福昌寺一七世)開山とし、自らは二代住職となった。開山にあたっては近世前期鹿児島藩の優れた農政家として活躍し、晩年には家老職も勤めた吉利よしとし(現日吉町)の領主禰寝清雄が施主として田二〇石を寄進した(三国名勝図会)


香積寺跡
こうじやくじあと

[現在地名]高岡町高浜

高浜たかはま村の北東、大淀川北岸にあった。曹洞宗竜福りゆうふく寺の末寺で、梅樹山と号し、本尊は薬師如来。「高岡名勝志」によれば、竜福寺二世明庵(寛永七年没)が開山とあるが、創建の年は不明。寺地一反余、客殿があった。客殿の庭にある梅の大樹は月知梅(国指定天然記念物)とよばれ、延宝元年(一六七三)鹿児島藩主島津光久が上洛のため高岡筋を通行の節、月知梅と命名したのがその名の由来とされる。「三国名勝図会」によれば、月知梅の梅樹は安永―天明年間(一七七二―八九)までは一株であったが、のちに七株に分れ、枝が地に垂れた有様は「群竜の蟠るが如し」と記述されている。


香積寺跡
こうしやくじあと

[現在地名]山口市香山町

現在の瑠璃光るりこう寺がその跡地臨済宗で山号は上方山。開基大内義弘、開山は仏宗真悟禅師。大内義弘は応永の乱に敗れ、応永六年(一三九九)一二月二一日泉州さかい(現大阪府堺市)戦死

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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