馬の顔面や額の保護を兼ねた装飾で,大別して額だけを飾る短いものと,額から鼻までの長手のものとがあり,まれな例としてパジリク出土の頭部全体を飾るものがある。中国では時代によって,当盧(とうろ),錫(よう),鏤錫(ろうよう)などの名称も用いられた。木,革,蚌(ぼう),象牙,銅,青銅,金銅,銀,金など各種の材質が使われ,石を象嵌した青銅製品もある。東アジアから北方ユーラシア,西アジア,地中海世界に広く分布し,さまざまな形が知られている。中国を中心に展開した多様な形の変化と,西アジアから伝播した形が認められるので,二つの中心のあったことがわかるが,相互の影響関係は明らかでない。中国古代では,殷代に蚌そのもの,それを模倣したとみられる獣面表出の帆立貝形,宝珠形が用いられ,西周には双耳を大きく表現した長手の,正面から見た馬の頭をかたどった形が流行し,戦国時代から漢代にかけては,圭字形およびまわりには切込み,中央に十字形透しを入れた形のいずれも長手の馬面が行われ,漢代にはミニチュアの明器もつくられた。前9世紀の西アジアでは,三角形や台形の金属あるいは象牙製の馬面が一般的で,2個を蝶番でつないで長くした形も行われ,これがキプロス島やギリシア世界に広がり,中ほどに節のある長手の馬面になった。これらには打出しか浮彫で女性裸像が飾られている。日本の古墳時代の馬面は馬形埴輪から知られるかぎり,舌形で西アジアの三角形や台形の馬面と同じ着装法だが,平安時代の唐鞍(からぐら)では銀面と呼ばれる,長手で加飾の多いものである。
戦闘の際,馬頭の保護に重点をおき馬面をいっそう大きくつくったのが,のちに馬面鎧(よろい)とよばれた馬冑(ばちゆう)である。最古の馬冑は,ドイツ南東部のシュトラウビンクで出土したローマ時代のものである。長方形の中央板に蝶番で左右の板をつなぎ,眼部は透しを入れた半球形につくり,全面を打出し文と刻線および金銀鍍金で飾ってある。きゃしゃなので儀仗用と考えられているが,戦闘用馬冑が存在したことは明白である。西アジアの国境でローマと攻防戦を繰り返していたパルティアと,次いで興ったササン朝ペルシアでは,騎馬武具が大いに発達した。東アジアにおける4~6世紀の騎俑,画像塼,壁画に甲冑で身を固めた騎馬の行列や戦闘の場面がみられるのは,西アジアから伝えられたものである。5世紀に属する鉄製馬冑の実例が,韓国慶尚南道釜山福泉洞10号墳と和歌山県大谷古墳から出土している。2例とも朝鮮民主主義人民共和国の安岳3号墳,薬水里古墳,双楹(そうえい)塚古墳,中国吉林省通溝三室塚古墳などに描かれている馬冑と同じく頰当てをもつ型式である。ヨーロッパでは,ローマ帝国の崩壊による中断ののち,13世紀から16世紀にかけて騎馬の鉄製甲冑がつくられ,騎士の闘いに重要な役割を果たした。
執筆者:小野山 節
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…防備のため,城壁の上には凸形の女牆(じよしよう)が連続し,四隅や城門上には楼屋を設ける。また宋代以後は直線面に約150mの間隔で馬面(ばめん)と呼ぶ長方形の張出部をつくり,壁下の敵襲に備えた。城門は国都などは《周礼(しゆらい)》にもとづき12門を基準としたが,州県程度では規模に応じて2~4門,城門の外側には半月形の甕城(おうじよう)と称する副城壁や,内側に日本の升形のような防壁を設けることも宋代に普遍化する。…
※「馬面」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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