高橋健自(読み)タカハシケンジ

デジタル大辞泉 「高橋健自」の意味・読み・例文・類語

たかはし‐けんじ【高橋健自】

[1871~1929]考古学者。宮城の生まれ。東京帝室博物館に勤務して古墳時代の鏡や埴輪などの研究貢献。著「鏡と剣と玉」など。

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精選版 日本国語大辞典 「高橋健自」の意味・読み・例文・類語

たかはし‐けんじ【高橋健自】

考古学者。文博仙台市出身。東京高等師範学校卒業。中学教諭、のち東京帝室博物館歴史課長。古墳古瓦の研究で業績をあげた。著「銅鉾銅剣の研究」「鏡と剣と玉」など。明治四~昭和四年(一八七一‐一九二九

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改訂新版 世界大百科事典 「高橋健自」の意味・わかりやすい解説

高橋健自 (たかはしけんじ)
生没年:1871-1929(明治4-昭和4)

考古学者。仙台市に生まれ,幼にして父を失い,苦学して東京高等師範学校に入学,三宅米吉教導をうけた。1894年卒業,ただちに福井市に赴任したが,97年奈良県畝傍中学校に転任して,のちの美術学校校長正木直彦のもとにて奉職中,考古学の研究を志した。1904年,東京帝室博物館(現,東京国立博物館)学芸委員となって上京し,歴史部長三宅米吉を助けて次長の事務をとった。21年,鑑査官・歴史課長にすすみ,没年にいたるまで前後26年間,東京帝室博物館にあって,三宅の創設した日本考古学会幹事として運営し,学界に貢献するところ大であった。著書に《鏡と剣と玉》(1911),《古墳発見石製模造器具の研究》(1919),《古墳と上代文化》(1922),《日本原始絵画》(1927),《日本服飾史論》(1927),《歴世服飾図説》(1929)などがあり,23年《銅鉾銅剣の研究》によって文学博士の学位をうけた。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「高橋健自」の意味・わかりやすい解説

高橋健自
たかはしけんじ

[生]明治4(1871).8.17. 仙台
[没]1929.10.19. 東京
考古学者。東京高等師範学校卒業。古代史家三宅米吉師事し,1904年以来東京帝室博物館に勤め,そのかたわら考古学会 (現日本考古学会) の運営に従った。古墳時代,初期歴史時代の実証的研究の基礎を築き学界に貢献した。主著『鏡と剣と玉』 (1911) ,『考古学』 (13) ,『古墳と上代文化』 (24) ,『銅鉾銅剣の研究』 (25) などのほか『高橋健自集』 (72) がある。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「高橋健自」の解説

高橋健自 たかはし-けんじ

1871-1929 明治-昭和時代前期の考古学者。
明治4年8月17日生まれ。37年東京帝室博物館にはいり,鑑査官,歴史課長をつとめるかたわら考古学会を主宰して「考古学雑誌」を刊行,考古学の発展普及につくした。昭和4年10月19日死去。59歳。宮城県出身。高等師範卒。著作に「銅鉾銅剣の研究」「日本原始絵画」など。

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百科事典マイペディア 「高橋健自」の意味・わかりやすい解説

高橋健自【たかはしけんじ】

考古学者。仙台藩士の家に生まれる。東京高師で三宅米吉に師事,のち東京帝室博物館に勤務。考古学会の運営に尽力するとともに古墳文化の研究に貢献。著書《鏡と剣と玉》《銅鉾銅剣の研究》《古墳と上代文化》など。

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