デジタル大辞泉
「鷹見泉石」の意味・読み・例文・類語
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たかみ‐せんせき【鷹見泉石】
- 江戸後期の武士、蘭学者。名は忠常。通称十郎左衛門。泉石は号。下総古河藩家老として、藩主土井利位の大坂城代在勤中に大塩平八郎父子の逮捕に活躍。海外地理・兵学研究と地図・地理書の収集でも有名。著「泉石日誌」。天明五~安政五年(一七八五‐一八五八)
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鷹見泉石 (たかみせんせき)
生没年:1785-1858(天明5-安政5)
江戸後期の下総古河(こが)藩家老。名は忠常,通称十郎左衛門。泉石は号。天保年間(1830-44)に大坂城代,老中を務めた藩主土井利位(としつら)を補佐して活躍した。若いころより洋学に親しみ,蘭学のほかロシア語を学び,天文・地理学にも関心をもった。海外地図の収集でも知られ,《ローマ字百人一首》などの著作もある。渡辺崋山の描いた肖像画《鷹見泉石画像》はよく知られている。
執筆者:大口 勇次郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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鷹見泉石
たかみせんせき
(1785―1858)
江戸後期の武士。名は忠常(ただつね)、通称は十郎左衛門。楓所(ふうしょ)、可琴軒(かきんけん)と号し、蘭名(らんめい)ダッペルを用いる。下総古河(しもうさこが)藩士で、用人、番頭(ばんがしら)から家老となる。藩主土井利位(としつら)が大坂城代在任中の1837年(天保8)に起きた大塩平八郎の乱の際、大塩父子召し捕りを指揮した。藩主が京都所司代を経て老中在職の間これを補佐、中央政界にも手腕を発揮した。オランダ人、蘭学者と交わり、蛮品収集、地理研究に従事、『新訳和蘭(オランダ)国全図』は明治前唯一の単行オランダ図で、『日光駅路里数之表』はオランダ里程法に学んだ著である。藩主の『雪華(せっか)図説』にも協力、ペリー来航時には建言書「愚意摘要」を書いた。安政(あんせい)5年7月16日没。
[片桐一男]
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鷹見泉石【たかみせんせき】
江戸末期の下総(しもうさ)古河藩家老。名は忠常(ただつね),字は伯直。泉石は号。藩主土井利位(としつら)に重用され,1831年家老となり,おもに江戸にあった。1846年幕府の忌諱(きい)に触れ古河に隠退,以後学問に専心。国防・経世(けいせい)に通じ,蘭学を修め,海外地図の収集でも知られた。著書に《新約和蘭(オランダ)国全図》等。渡辺崋山の描いた肖像画〈鷹見泉石画像〉は著名。
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鷹見泉石
たかみせんせき
[生]天明5(1785).6. 下総
[没]安政5(1858).7. 下総
江戸時代後期の武士。下総古河藩士。文化 10 (1813) 年用人,天保2 (31) 年家老となり,同9年藩主の老中就任とともに中央政界にも活躍。一方,蘭学にも関心をもち蘭書舶来品の収集に努め,江戸の蘭学者,長崎のオランダ通詞やオランダ人などとも交際した。渡辺崋山の尚歯会に関係し,高島秋帆の江戸呼び寄せにも尽力。海外地理研究や多くの地図,地理書を収集。嘉永2 (49) 年『新訳和蘭全図』を著わした。
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鷹見泉石 たかみ-せんせき
1785-1858 江戸時代後期の武士,洋学者。
天明5年6月29日生まれ。下総(しもうさ)古河(こが)藩(茨城県)家老。大坂城代在任中の藩主を補佐して大塩平八郎の乱を鎮圧。渡辺崋山らおおくの蘭学者とまじわり,ロシア語,英語もまなぶ。ペリー来航の際,開国通商を幕府に提言した。崋山の「鷹見泉石像」でも知られる。安政5年7月16日死去。74歳。名は忠常。字(あざな)は伯直。通称は十郎左衛門。別号に楓所,可琴軒。著作に「新訳和蘭国全図」など。
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鷹見泉石 (たかみせんせき)
生年月日:1785年6月29日
江戸時代後期の行政家;蘭学者
1858年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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