コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

鷹見泉石 たかみせんせき

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

鷹見泉石
たかみせんせき

[生]天明5(1785).6. 下総
[没]安政5(1858).7. 下総
江戸時代後期の武士。下総古河藩士。文化 10 (1813) 年用人,天保2 (31) 年家老となり,同9年藩主の老中就任とともに中央政界にも活躍。一方,蘭学にも関心をもち蘭書舶来品の収集に努め,江戸の蘭学者,長崎のオランダ通詞やオランダ人などとも交際した。渡辺崋山の尚歯会に関係し,高島秋帆の江戸呼び寄せにも尽力。海外地理研究や多くの地図,地理書を収集嘉永2 (49) 年『新訳和蘭全図』を著わした。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

百科事典マイペディアの解説

鷹見泉石【たかみせんせき】

江戸末期の下総(しもうさ)古河藩家老。名は忠常(ただつね),字は伯直。泉石は号。藩主土井利位(としつら)に重用され,1831年家老となり,おもに江戸にあった。1846年幕府の忌諱(きい)に触れ古河に隠退,以後学問に専心。

出典 株式会社日立ソリューションズ・クリエイト百科事典マイペディアについて 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

鷹見泉石 たかみ-せんせき

1785-1858 江戸時代後期の武士,洋学者。
天明5年6月29日生まれ。下総(しもうさ)古河(こが)藩(茨城県)家老。大坂城代在任中の藩主を補佐して大塩平八郎の乱を鎮圧渡辺崋山らおおくの蘭学者とまじわり,ロシア語,英語もまなぶ。ペリー来航の際,開国通商を幕府に提言した。崋山の「鷹見泉石像」でも知られる。安政5年7月16日死去。74歳。名は忠常。字(あざな)は伯直。通称は十郎左衛門。別号に楓所,可琴軒。著作に「新訳和蘭国全図」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

朝日日本歴史人物事典の解説

鷹見泉石

没年:安政5.7.16(1858.8.24)
生年:天明5.6.29(1785.8.3)
江戸後期の行政家で蘭学者。名は忠常,通称十郎左衛門。自宅を楓所と名づけ,書斎に泰西堂の額を掲げ,可琴軒,のち泉石と号した。下総国古河藩(古河市)藩士。古河に生まれたが,12歳で出府,藩主土井利厚,利位2代に近侍した。利位には世子のときから近習として仕え,襲封後は内用役から家老を務めた。大坂城代となった利位のもとで天保8(1837)年大塩平八郎の乱を鎮めた。水野忠邦の改革期に老中に列した藩主を補佐,海防強化に長崎から高島秋帆 の幕府招致を画策するなど,活躍したが,弘化3(1846)年主家の嗣子問題で藩主と不和を生じ,古河に閉居させられ,以後学究に徹した。幼時,藩医河口信任に手ほどきされた蘭学を深め,文化10(1813)年には大槻玄沢主催の新元会(オランダ正月の祝賀会)に招かれるほど,蘭学界と親しくなる。内外の地図1000枚余を集め,地理に通じ,嘉永3(1850)年精巧な,明治以前唯一の単行オランダ図『新訳和蘭国全図』を訳刊した。蝦夷地図にも強い関心を示し,ロシア語も研究していた。ペリー来航に際し,開国通商に応じ,民力を養い,そのうえで国威を発展させるべしとの「愚意摘要」を建言し,岩瀬忠震ら幕府要路に影響を与えた。渡辺崋山,杉田玄白らと交わり,漂流者大黒屋光太夫,中浜万次郎とも会うなど,治政実務に裏打ちされ,国際環境を厳しく見定める先見性の持ち主であった。古河歴史博物館に日記,稿本などが収蔵されている。

(石山洋)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

世界大百科事典 第2版の解説

たかみせんせき【鷹見泉石】

1785‐1858(天明5‐安政5)
江戸後期の下総古河(こが)藩家老。名は忠常,通称十郎左衛門。泉石は号。天保年間(1830‐44)に大坂城代,老中を務めた藩主土井利位(としつら)を補佐して活躍した。若いころより洋学に親しみ,蘭学のほかロシア語を学び,天文・地理学にも関心をもった。海外地図の収集でも知られ,《ローマ字百人一首》などの著作もある。渡辺崋山の描いた肖像画《鷹見泉石画像》はよく知られている。【大口 勇次郎】

出典 株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について 情報

大辞林 第三版の解説

たかみせんせき【鷹見泉石】

1785~1858) 江戸後期の武士・蘭学者。名は忠常。下総しもうさ古河藩の家老として、藩主が大坂城代の時、大塩平八郎の乱を平定。蘭学・露語を学び、「和蘭国全図」を著すなど地理研究でも知られる。渡辺崋山の師。

出典 三省堂大辞林 第三版について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

鷹見泉石
たかみせんせき
(1785―1858)

江戸後期の武士。名は忠常(ただつね)、通称は十郎左衛門。楓所(ふうしょ)、可琴軒(かきんけん)と号し、蘭名(らんめい)ダッペルを用いる。下総古河(しもうさこが)藩士で、用人、番頭(ばんがしら)から家老となる。藩主土井利位(としつら)が大坂城代在任中の1837年(天保8)に起きた大塩平八郎の乱の際、大塩父子召し捕りを指揮した。藩主が京都所司代を経て老中在職の間これを補佐、中央政界にも手腕を発揮した。オランダ人、蘭学者と交わり、蛮品収集、地理研究に従事、『新訳和蘭(オランダ)国全図』は明治前唯一の単行オランダ図で、『日光駅路里数之表』はオランダ里程法に学んだ著である。藩主の『雪華(せっか)図説』にも協力、ペリー来航時には建言書「愚意摘要」を書いた。安政(あんせい)5年7月16日没。[片桐一男]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

367日誕生日大事典の解説

鷹見泉石 (たかみせんせき)

生年月日:1785年6月29日
江戸時代後期の行政家;蘭学者
1858年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

鷹見泉石の関連キーワードオランダ通詞オランダ人古河(市)原羊遊斎生年月日露語

今日のキーワード

だまし面接

企業が面談や懇談会と称して就職活動中の学生を呼び出し、実質的には学生を選考する偽装面接のこと。2016年卒業の大学生に対する選考活動の開始時期を、従来の4月1日から8月1日以降へと後ろ倒しする主旨の「...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android