日本大百科全書(ニッポニカ) 「土井利位」の意味・わかりやすい解説
土井利位
どいとしつら
(1789―1848)
江戸後期の古河(こが)藩主、老中。『雪華図説』の著者として有名。三河(みかわ)・刈屋藩主土井利徳(としなり)(1748―1813)の四男に生まれ、本家の古河藩主土井利厚(1759―1822)の養子となった。1822年(文政5)11代藩主となり大炊頭(おおいのかみ)に任官した。学問を好み、藩学館の興隆にも力を尽くしたが、家老の著名な蘭学(らんがく)者鷹見泉石(たかみせんせき)とともに蘭学を修めた。30年にわたって顕微鏡による雪の結晶の観察を続け、精密なスケッチ集『雪華図説』正編を1832年(天保3)に、続編を1840年に刊行した。政治家としての利位は奏者番(そうじゃばん)を振り出しに寺社奉行(ぶぎょう)を経て1835年に大坂城代となり、1837年飢饉(ききん)をきっかけに起こった大塩平八郎の乱を鎮定した。同年京都所司代、1838年に西の丸老中に就任、1839年に本丸老中に進んだ。天保(てんぽう)の改革では水野忠邦(ただくに)と対立し、1843年の忠邦失脚後は老中首座となったが翌1844年(弘化1)に引退した。
[小林禎作・前野紀一]