木村庄之助(読み)キムラショウノスケ

デジタル大辞泉 「木村庄之助」の意味・読み・例文・類語

きむら‐しょうのすけ〔‐シヤウのすけ〕【木村庄之助】

相撲行司の宗家。寛永年間(1624~1644)、真田伊豆守さなだいずのかみの家臣であった中立羽左衛門なかだちうざえもんが、江戸で勧進相撲を興行して行司になったのに始まり、3代目から改姓、以来代々木村庄之助を名乗る。現在では筆頭立行司たてぎょうじの名。

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精選版 日本国語大辞典 「木村庄之助」の意味・読み・例文・類語

きむら‐しょうのすけ【木村庄之助】

  1. 相撲の行司。現在は立行司の筆頭格である。
  2. [ 一 ] 三代。名は正智。寛永(一六二四‐四四)頃、真田伊豆守の家臣であった中立羽左衛門清重を流祖としてはじめて木村庄之助を名のる。以後、代々の世襲名となる。生没年未詳。
  3. [ 二 ] 一九代。本名鬼頭多喜太。一三歳で相撲界にはいり、五〇年間精勤。東京大相撲協会の設立に功績があった。明治二~昭和七年(一八六九‐一九三二

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「木村庄之助」の意味・わかりやすい解説

木村庄之助
きむらしょうのすけ

江戸時代から続く最高権威の行司。近年は横綱の結びの一番だけ裁定する。初め九重(ここのえ)庄之助と名のり、1708年(宝永5)に中立(なかだち)と改名、さらに1726年(享保11)に木村庄之助と改めた。代々立(たて)行司(おもだった行司)として37代目を数えるが、2015年以降は空位となっている。1769年(明和6)に式守伊之助が出現してより、江戸相撲(ずもう)は木村、式守の2家になり、それぞれ行司を養成し、式守が木村を名のることはなかったが、明治に入ってから式守伊之助を経て木村庄之助に昇進する例が開かれ、庄之助の次位が伊之助という序列になり、両者とも立行司である。1827年(文政10)6代目庄之助のとき、架空の先祖3人を創作水増ししたため現在の代数になる。

池田雅雄]

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改訂新版 世界大百科事典 「木村庄之助」の意味・わかりやすい解説

木村庄之助 (きむらしょうのすけ)

相撲行司最高位で立(たて)行司の筆頭。初代は,初め九重庄之助と名のったが,1708年(宝永5)中立(なかだち)庄之助と改め,江戸相撲行司家の第一人者となり年寄兼務。さらに26年(享保11)に木村庄之助と改名,行司木村家の総帥となり,39年(元文4)没。その後,九重,中立の名のりは,年寄名跡として復活し,今日に及ぶ。2代目は初め木瀬庄太郎から木村庄太郎(初代),庄蔵,庄之助と改め,49年(寛延2)熊本の吉田追風の故実門人となり,志賀清林(架空の平安朝行司)を流祖とする家系に改める。

 1824年(文政7)6代目を相続した庄之助は,架空2人,別派1人を加えて系図を作成し9代目を名のったが,これは当時流行の家系修飾である。その後も江戸立行司の筆頭として現在に及ぶ。天保の木村松翁は庄之助の隠居号(年寄名)でその後5人を数えた。

 1936年(昭和11)に松翁・庄之助は名誉号として復活した。17代から庄之助は年寄兼務だったが58年に行司の年寄制度は廃止された。
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20世紀日本人名事典 「木村庄之助」の解説

木村 庄之助(20代目)
キムラ ショウノスケ

明治〜昭和期の大相撲行司 立行司。



生年
明治9年12月3日(1876年)

没年
昭和15(1940)年3月9日

出生地
栃木県都賀郡上奈良部

本名
後藤 子之吉

別名
前名=式守 子之吉,式守 錦太夫,式守 与太夫,式守 伊之助(15代目)(シキモリ イノスケ),別名=松翁(ショウオウ)

経歴
8代目式守伊之助の弟子となり、明治19年1月式守子之吉で初土俵。35年1月幕内格、42年6月三役格を経て、大正15年15代目伊之助、昭和7年20代目庄之助を襲名。双葉山・玉錦時代に活躍、品格技量・識見ともに卓越し、日本相撲協会から“松翁”の尊称を受けた。


木村 庄之助(26代目)
キムラ ショウノスケ

大正・昭和期の大相撲行司 立行司。



生年
明治45(1912)年1月2日

没年
昭和59(1984)年3月27日

出生地
愛知県

本名
浅井 正

別名
前名=式守 正,木村 正,木村 邦雄,式守 与之吉,式守 勘太夫,式守 伊之助(22代目)(シキモリ イノスケ)

経歴
7歳の時上京、行司として井筒部屋に入門。のち君ケ浜部屋へ移籍。大正8年初土俵、昭和22年幕内格、31年三役格、41年22代目式守伊之助となり、48年立行司・第26代庄之助に昇格。52年に引退するまで、華麗にして厳正な土俵態度は、多くの相撲ファンに愛された。


木村 庄之助(21代目)
キムラ ショウノスケ

明治〜昭和期の大相撲行司 立行司。



生年
明治22(1889)年4月1日

没年
昭和45(1970)年11月25日

出生地
長野市稲荷山町

本名
竹内 重門(タケウチ シゲカド)

別名
前名=式守 与之吉,式守 勘太夫,木村 玉之助,式守 伊之助(17代目)(シキモリ イノスケ),年寄名=立田川

経歴
井筒部屋に入り、のち伊勢ノ海部屋、時津風部屋に移籍。明治32年1月初土俵。大正11年幕内格、昭和2年三役格となり、14年1月17代目伊之助、15年5月21代目庄之助を襲名。26年5月引退、36年廃業。


木村 庄之助(24代目)
キムラ ショウノスケ

明治〜昭和期の大相撲行司 立行司。



生年
明治34(1901)年8月15日

没年
昭和48(1973)年9月19日

出生地
千葉県白子町

本名
緑川 義(ミドリカワ ヨシ)

別名
前名=木村 義松,式守 伊三郎,式守 鬼一郎,式守 伊之助(20代目)(シキモリ イノスケ)

経歴
阿武松部屋に入り、明治44年5月初土俵。昭和18年幕内格、22年三役格となり、35年1月20代目伊之助、38年1月24代目庄之助を襲名。41年廃業。のち神官となる。


木村 庄之助(19代目)
キムラ ショウノスケ

明治〜昭和期の大相撲行司 立行司。



生年
明治2年(1869年)

没年
昭和7(1932)年5月30日

本名
鬼頭 多喜太

経歴
明治14年大相撲年寄先代若藤の門に入って行司となり、累進して立行司となる。のち19代目庄之助を襲名。東京大相撲協会設立に尽力した。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「木村庄之助」の意味・わかりやすい解説

木村庄之助
きむらしょうのすけ

大相撲の行司最高位の名跡 (みょうせき) で,立行司 (たてぎょうじ) を務め結びの一番を裁く。中立羽左衛門を祖とし,3代目中立庄之助が木村庄之助と改名,以後この名跡が確立したと伝えられるが,これは江戸相撲興隆期の明和年間 (1764~72) に活躍して6代目を称した木村庄之助の作成した家系図によるもので,史実は明らかでない。実際にその名が番付面に現れるのは3代目とされる木村庄之助が享保 11 (1726) 年の江戸番付に「中立庄之助改め木村庄之助」としてみえるのが最初である。紫房の軍配団扇 (うちわ) ,素袍折烏帽子 (すおうおりえぼし) に短刀を帯び,土俵上で草履を許されている。もう一人立行司として式守伊之助がいる。

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百科事典マイペディア 「木村庄之助」の意味・わかりやすい解説

木村庄之助【きむらしょうのすけ】

相撲行司の最高位で立(たて)行司の筆頭。行司九重(ここのえ)庄之助〔?-1739〕が中立(なかだち)庄之助を経て,1726年に木村庄之助を名乗ったのが初代。現在は式守伊之助から庄之助になる昇進形式が多い。2013年11月より第37代目。→行司

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「木村庄之助」の解説

木村庄之助(4代) きむら-しょうのすけ

?-1739 江戸時代中期の相撲行司。
寛永のころ江戸で勧進(かんじん)相撲を興行した中立(なかだち)羽左衛門の孫という。享保(きょうほう)11年(1726)に中立庄之助から木村庄之助に改名,以後代々その名と行司の最高位の立(たて)行司をついだ。元文4年死去。文政年間になって架空の先祖3人を創出したため4代にかぞえられているが,実質的には初代である。

木村庄之助(17代) きむら-しょうのすけ

1862-1924 明治-大正時代の相撲行司。
文久2年生まれ。明治2年大阪相撲の竹縄部屋にはいり,18年東京相撲の玉垣部屋にうつる。10代式守伊之助をへて45年17代をつぐ。大正10年五月場所の大錦(おおにしき)と鞍ケ岳(くらがたけ)の一番が軍配差し違いとなり,辞任した。大正13年7月19日死去。63歳。阿波(あわ)(徳島県)出身。本名は酒井兵吉。

木村庄之助(16代) きむら-しょうのすけ

1849-1912 幕末-明治時代の相撲行司。
嘉永(かえい)2年11月12日生まれ。文久3年13代木村庄之助に入門,木村新介,木村誠道をへて明治31年16代をつぐ。足かけ15年立(たて)行司として梅ケ谷・常陸山(ひたちやま)全盛時代の土俵をつとめた。明治45年1月6日死去。64歳。三河(みかわ)(愛知県)出身。本名は柘新助。

木村庄之助(20代) きむら-しょうのすけ

1876-1940 明治-昭和時代前期の相撲行司。
明治9年12月3日生まれ。8代式守伊之助に入門。15代式守伊之助をへて昭和7年20代をつぐ。玉錦(たまにしき)・双葉山全盛時代の名行司とうたわれ,11年庄之助の尊称「松翁(しょうおう)」をゆるされた。昭和15年3月9日死去。65歳。栃木県出身。本名は後藤子之吉。

木村庄之助(21代) きむら-しょうのすけ

1889-1970 明治-昭和時代の相撲行司。
明治22年4月1日生まれ。32年井筒(いづつ)部屋に入門。17代式守伊之助をへて昭和15年21代をつぎ,双葉山時代の土俵をつとめる。26年引退して年寄立田川となり,相撲協会理事,監事を歴任した。昭和45年11月25日死去。81歳。長野県出身。本名は竹内重門。

木村庄之助(24代) きむら-しょうのすけ

1901-1973 明治-昭和時代の相撲行司。
明治34年8月15日生まれ。阿武松(おうのまつ)部屋に入門。20代式守伊之助をへて昭和38年24代をつぎ,大鵬(たいほう)・柏戸全盛時代の土俵をつとめる。大柄で総髪のため「山伏庄之助」とよばれた。昭和48年9月19日死去。72歳。千葉県出身。本名は緑川義。

木村庄之助(19代) きむら-しょうのすけ

1869-1932 明治-昭和時代前期の相撲行司。
明治2年生まれ。相撲年寄若藤に入門。式守多喜太,13代式守伊之助をへて大正15年19代をつぐ。50年ちかく行司をつとめ,名行司として知られる。東京大相撲協会の設立につくした。昭和7年5月30日死去。64歳。東京出身。本名は鬼頭多喜太。

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367日誕生日大事典 「木村庄之助」の解説

木村庄之助(16代目) (きむらしょうのすけ)

生年月日:1849年11月12日
江戸時代後期;末期;明治時代の相撲行司
1912年没

木村 庄之助(20代目) (きむら しょうのすけ)

生年月日:1876年12月3日
明治時代-昭和時代の大相撲立行司
1940年没

木村 庄之助(26代目) (きむら しょうのすけ)

生年月日:1912年1月2日
大正時代;昭和時代の大相撲行司
1984年没

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