松瀬青々(読み)マツセセイセイ

デジタル大辞泉 「松瀬青々」の意味・読み・例文・類語

まつせ‐せいせい【松瀬青々】

[1869~1937]俳人大阪の生まれ。本名、弥三郎。正岡子規門人。関西俳壇に重きをなした。句集妻木」「鳥の巣」など。

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精選版 日本国語大辞典 「松瀬青々」の意味・読み・例文・類語

まつせ‐せいせい【松瀬青々】

  1. 俳人。大阪出身。本名彌三郎。雑誌ホトトギス」の編集に一時従事、帰阪し「大阪朝日新聞」に入社。「朝日俳壇」の選を担当。関西俳壇の中心となった。句集に「妻木」など。明治二~昭和一二年(一八六九‐一九三七

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20世紀日本人名事典 「松瀬青々」の解説

松瀬 青々
マツセ セイセイ

明治〜昭和期の俳人



生年
明治2年4月4日(1869年)

没年
昭和12(1937)年1月9日

出生地
大阪府大阪市東区大川町

本名
村瀬 弥三郎

学歴〔年〕
北浜上等小〔明治15年〕卒

経歴
小学校卒業後、詩文、書、数学を塾で学び、商人としての道を歩んだがそれになじまず泰西学館で数学教師をつとめる。明治28年第一銀行大阪支店に入社、そのかたわら国学と和歌を学ぶ。この頃から俳句に親しみ「ホトトギス」「文庫」「日本」に投句。32年高浜虚子のすすめで上京し「ホトトギス」編集員。33年帰阪、大阪朝日新聞社に入社し、俳句欄を担当。34年「宝船」を創刊、同誌は大正4年「倦鳥」と改題された。関西俳壇に重きをなし、新傾向俳句運動の際には碧梧桐に正面から対立した。句集に「妻木」全4巻をはじめ没後刊行の「鳥の巣」などがある。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「松瀬青々」の意味・わかりやすい解説

松瀬青々
まつせせいせい
(1869―1937)

俳人。大阪に生まれる。本名弥三郎。1897年(明治30)大阪満月会に加わり、新聞『日本』の正岡子規(しき)選俳句欄、『ホトトギス』などに投句。1899年上京して『ホトトギス』編集部に入ったが、翌年辞して帰阪し、大阪朝日新聞社に入社した。1901年(明治34)『宝船(たからぶね)』を創刊、のち『倦鳥(けんちょう)』と改題、青木月斗(げっと)とともに関西俳壇に重きをなした。1904年早くも処女句集『妻木』を出し、『松苗』(1937)、『鳥の巣』(1938)の句集のほか、『巻頭言集』(1937)、『随感随想』(1942)などの随筆集も出ている。

 甘酒屋打出の浜におろしけり
村山古郷

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「松瀬青々」の解説

松瀬青々 まつせ-せいせい

1869-1937 明治-昭和時代前期の俳人。
明治2年4月4日生まれ。正岡子規にみとめられ,明治32年上京して「ホトトギス」の編集員となる。33年大阪朝日新聞社につとめ,「俳句欄」の選者を担当。また34年俳誌「宝船」(のち「倦鳥(けんちょう)」と改題)を創刊,主宰した。昭和12年1月9日死去。69歳。大阪出身。本名は弥三郎。句集に「妻木」,俳話集に「倦鳥巻頭言集」。
【格言など】月見して如来の月光三昧や(辞世)

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367日誕生日大事典 「松瀬青々」の解説

松瀬 青々 (まつせ せいせい)

生年月日:1869年4月4日
明治時代-昭和時代の俳人
1937年没

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