日本大百科全書(ニッポニカ) 「商業教育」の意味・わかりやすい解説
商業教育
しょうぎょうきょういく
農業や工業と並び、産業教育の一分野としての商業に関係する教育をいう。狭義には、学校における商業教育、とくに高等学校の商業科の教育をさし、広義には、大学における商学や経済学などの教育を含み、さらに広義には、各種学校や専修学校における商業実務関係の教育、企業や公共団体の行う職業訓練なども含む。
[三好信浩]
沿革
日本では、貨幣経済の発達に伴って、商業の知識や技能を訓練するために丁稚(でっち)とよばれた徒弟制度が発達した。商家では、家訓や家憲などを通して商人道徳が継承された。江戸中期になると、石田梅岩(ばいがん)とその弟子たちによって、石門(せきもん)心学と称する商人道が提唱され、心学講舎における道話を通して一般に普及した。また、寺子屋では、商売往来などの往来物が手習いに使われ、そろばんの指導がなされた。
明治期に入っても、商業教育は民間の必要に応じて、私的な事業として進められた。アメリカのビジネス・スクールbusiness schoolに着目した森有礼(ありのり)は、福沢諭吉らの協力を得て、1875年(明治8)東京に商法講習所(一橋大学の前身)をおこした。これに刺激されて、神戸や大阪など開港市を中心にして、公私立の商法講習所が設けられた。
政府による商業教育は、工業や農業の教育よりも遅れて、1884年から本格化した。農商務省は商法講習所を直轄にして東京商業学校とし、文部省は商業学校通則を公布した。その翌年、東京商業学校は文部省に移管され、それ以降、文部省の実業教育法制などにより、高等および中等の商業学校や商業補習学校などが整備された。
第二次世界大戦中には、商業教育不要論が出され、男子の商業学校の多くは工業や農業の学校に変えられたが、戦後において旧に復した。高等学校の職業科のなかでは、商業科がその数においてもっとも多い。2000年(平成12)現在、商業科の数は936で、2位の工業科の662を引き離し、生徒数は35万3018人に上っている。1999年に発表された学習指導要領では、17の科目(ビジネス基礎、課題研究、総合実践、商品と流通、商業技術、マーケティング、英語実務、経済活動と法、国際ビジネス、簿記、会計、原価計算、会計実務、情報処理、ビジネス情報、文書デザイン、プログラミング)のなかから選択して教育課程を編成することになっている。
[三好信浩]
課題
歴史的にみて、商業教育は私的な事業として出発したように、今日でも会計や経理などの各種学校や専修学校が盛んである。高等学校の教育が経済社会の変化にどのように対応するか、女子生徒の増加による男女生徒比のアンバランス、商業に関心の薄い生徒の入学、大学進学希望者の増加などにどのように対処するか、解決すべき課題は多い。
[三好信浩]
『笈川達男著『商業教育の歩み』(2001・実教出版)』