農業、工業、商業、水産業その他の産業に従事するために必要な知識、技術、態度を修得させるための教育をいい、職業教育の一部をなす。1951年(昭和26)制定の産業教育振興法では、産業教育は中学校、高等学校、大学で行うとされ、その後高等専門学校もつけ加えられた。しかし、一般的な概念では、高等学校の職業科の教育がその中心をなしている。
[三好信浩]
英語ではインダストリアル・エデュケーションindustrial educationとよばれることからもわかるように、産業革命期の産業構造の変化に対応して組織化されるようになった。産業革命の先進国イギリスでは、1851年にロンドン万国博覧会を開催したとき、産業技術の国際競争に対処する教育の必要が説かれ始めた。その引き金となったプレイフェアの『ヨーロッパ大陸諸国の産業教育』と題する報告書では、この当時すでにドイツ、フランスなどにおいて、工業を主体として農業や商業も含み込んだ産業教育が成立していたことが明らかにされた。
日本では明治10年代から欧米の産業教育が、技芸教育とか職工教育とかの用語でわが国に紹介された。明治20年代になると、実業教育の用語が多用されるようになり、1893年(明治26)の実業補習学校規程を皮切りに、一連の実業教育法制が成立した。実業教育のなかには、工業学校、徒弟学校、農業学校、商業学校、商船学校、実業補習学校などが含まれ、のちには実業専門学校も加えられた。明治初年の産業教育は、殖産興業を担当する主務省管理のもとで推進された。まず工部省と文部省は工業教育を、開拓使と内務省は農業教育に着手し、農商務省が創置されると、農業、林業、商業、商船などの教育を管理した。文部省は、1882年に農商務省と学校管理権をめぐって争い、太政官(だじょうかん)に学政一元化の主張を認めさせた。そのことは、教育行政の一貫性と能率性を高めることになったが、その反面において、産業教育が産業の実地から遊離するという弊害が生まれた。
[三好信浩]
第二次世界大戦後の技術革新の時代には、各国とも競って科学技術人材の教育に力を注いだ。たとえばイギリスでは、1956年に技術教育白書を出し、63年にはロビンズ報告書で高等教育の抜本的改革に乗り出した。日本でも、大学の理工系学部、高等専門学校、高等学校工業科などが大幅に拡充され、工業教育が発展した。しかし、第一次産業の農業教育はしだいに不振に陥り、農業後継者の確保にさえ支障が生じた。
これからの産業教育は、産業構造の変化に柔軟に対応できるような人間形成のための教育構造が図られねばならない。学校教育としての産業教育では、職業への使命感、創意工夫の精神、産業の基礎となる知識や技能、産業を取り巻く諸状況の社会科学的認識などを修得させ、また学校教育を終わったのちにも、個人の要望に応じた、多様な教育機会を利用できる産業教育施設の充実を図ることが課題となる。とりわけ重要なことは、高度情報通信社会に移行するに伴って、学校教育や生涯教育を含めて情報化への対応が迫られていることである。とくに工業系の大学や高等専門学校では、情報関連学科を整備するとともに、教育界全般にわたる情報処理教育のシステム開発を進めることが求められている。
[三好信浩]
『国立教育研究所編・刊『日本近代教育百年史9 産業教育1(幕末~1915年頃)』『日本近代教育百年史10 産業教育2(1915年頃以降)』(1973)』▽『文部省編『産業教育百年史』(1986・ぎょうせい)』▽『三好信浩著『日本の女性と産業教育』(2000・東信堂)』
広義には農,工,商,水産など各産業部門の職業につく準備をする教育をいい,職業教育あるいは第2次大戦までの実業教育の内容がほぼこれに相当する。職業訓練や企業内で行われる教育訓練も広義の産業教育にふくまれる。しかし狭義には,産業教育振興法の制定(1951)後は,中学校の技術・家庭科(1958年までは職業・家庭科),高等学校の工業,農業,商業,水産,家庭,衛生看護の各学科(これらを一括して職業学科という)の教育を総称することが多い。普通教育の学校系統とは別個の学校とされていた実業学校は,第2次大戦後の学制改革で解消され,狭義の産業教育は,いわゆる単線型の学校体系のなかに位置づけられた。中学校の産業教育は,普通教育の一環として,主として工業上の,あるいは家庭経営に関する知識,技能の基礎を教授する技術・家庭科で行われている。この教科は,教育と実生活とを結びつけるうえで重要な役割をになっているが,進学準備教育の圧力のなかで軽視されがちである,教育内容が男女別である,実習をふくむのに半学級編成(1クラスの生徒数がたとえば20名を超えるときには分割する方式)が保証されていない,などの問題をかかえている。高等学校の産業教育は,職業学科の専門教育として位置づけられている。これらの学科の教育課程の構成は,おおむね普通科目55,実習をふくむ専門科目45となっていたが,しだいに前者の比重が大きくなる傾向にある。また,高校進学率が60~70%の時期までは職業学科卒業生の専門性は一般に高かったが,進学率が90%に達した後は,その専門性の評価は下がっている。時期を同じくして大学進学指向も強まってきたため,1970年以降,ながらく全高校生の4割を占めていた職業学科在籍者数が漸減するなど,高等学校職業学科の位置づけは動揺している。他方,高校の職業教育の強化を望む声も根強いので,高校職業教育の位置づけは,高校の普通科における産業教育の拡充と相まって,現代の中等教育改革の重要な課題の一つとなっている。
→実業教育 →職業教育
執筆者:佐々木 享
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…1870年代から農業,鉱工業,水産,運輸などの生産・流通の分野を実業と総称し,これらの分野で働こうとする者にたいする基礎的教育および専門的教育を実業教育と称する習慣が生まれた。第2次大戦後は実業教育と称することは少なく,ほぼ同様の教育は産業教育あるいは職業教育と称されている。実業教育の萌芽は70年代からみられたが,井上毅文相のもとで94年に実業補習学校規程および実業教育費国庫補助法が制定されて政府が積極的に奨励策をとりはじめると,おりからの日本資本主義の発展のもとで急激に発達しはじめ,実業学校令(1899)および専門学校令(1903)の制定により体系的に整備された。…
※「産業教育」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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