デジタル大辞泉 「チャールズ」の意味・読み・例文・類語
チャールズ(Charles)
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翻訳|Charles
アメリカの歌手、ピアノ奏者、アルトサックス奏者、ソングライター。本名レイ・チャールズ・ロビンソンRay Charles Robinson。ジョージア州オルバニーに生まれ、フロリダで育った。病気のため7歳のときに失明し、1937年から1945年まで盲目児童のための州立学校でクラシックのピアノとクラリネットを学ぶ。1947年からいくつかの楽団に参加した後、1948年シアトルに移住。ナット・キング・コール・トリオを範としてマクソン・トリオMcSon Trioを結成、ジャズとブルースで注目され、1949年からレコード録音を始める。1954年に自身の楽団を結成。『アイ・ガット・ア・ウーマン』(1955)、『ハレルヤ、アイ・ラブ・ハー・ソー』(1956)などを皮切りにヒットを連発、『ホワッド・アイ・セイ』(1959)が初のミリオンセラーとなる。『わが心のジョージア』で1960年度グラミー賞最優秀シングル男性歌唱賞を受賞、その後1993年の『ア・ソング・フォー・ユー』などグラミー賞を生前に計12回受賞、2005年には遺作となったアルバム『ジーニアス・ラヴ』で同賞最優秀アルバム賞、ノラ・ジョーンズとのデュエット曲「ヒア・ウィ・ゴー・アゲイン」で最優秀レコード賞など計8部門で受賞した。ブルースの精神を広く現代人に再認識させた功績は大きく、「ジニアス」(天才)と称され、敬愛された。1989年(平成1)にサザンオールスターズの桑田佳祐作『いとしのエリー』の英語詞版『エリー・マイ・ラブ』が日本で発売されて大ヒットした。
[青木 啓]
『ティモシー・ホワイト著、石岡公夫・月村澄江訳『ロック伝説上巻 プロフィールとインタビュー36』(1995・音楽之友社)』▽『Ray Charles, David Ritz:Brother Ray;Ray Charles' Own Story(1992, Da Capo Press)』
イギリスの国王(在位2022~ )。11月14日生まれ。イギリス女王エリザベス2世の長男で、父はエジンバラ公フィリップ。1958年7月に「プリンス・オブ・ウェールズ」の称号を与えられる。2022年9月、エリザベスの死去により国王に即位した。ケンブリッジ大学卒業後、1971年から1976年まで海軍で軍務に従事。1981年7月に、スペンサー伯爵家の令嬢ダイアナと結婚。翌1982年、長男ウィリアム、1984年に次男ヘンリーが生まれる。
しかし、結婚前からの知人の女性カミラ・パーカー・ボウルズ(1947― )との交際が妻ダイアナの不信を招き、夫婦仲が悪化した。1992年ダイアナと別居、1996年8月にはついに離婚した。1997年のダイアナの事故死以後、カミラとの関係は公然化し、2005年4月に正式に結婚した。妻となったカミラは、皇太子妃ではなく、コーンウォール公妃と称することになった(チャールズの国王即位後は王妃)。ダイアナをめぐるスキャンダルの後遺症で、チャールズの国民の人気は低迷している。
[土生修一]
『ジョナサン・ディンブルビ著、仙名紀訳『チャールズ皇太子の人生修業』上下(1995・朝日新聞社)』
スチュアート朝第2代のイギリス王(在位1625~49)。ジェームズ1世とデンマーク王女アンとの間に生まれる。1612年、兄ヘンリーの死により皇太子となり、1625年、王位を継承し、同年フランス王女アンリエッタ・マリアと結婚した。彼の治世は、側近で親友でもあったバッキンガム公が弾劾されるなど最初から議会との衝突が絶えなかったが、ことに国王の課税権をめぐる争いは国制に関する論争にまで発展し、1628年「権利請願」を裁可しなければならない事態に立ち至った。そこでチャールズ1世は、1629年議会を解散し、以後11年間、議会を開かずに自ら政治を執り行った。しかし大主教ロードとストラッフォード伯に支えられたこの統治も、1637年、スコットランドに国教会祈祷(きとう)書を強制したことをきっかけとして崩壊する。祈祷書の強制に怒ったスコットランド人は反乱を起こし(1638)、1640年チャールズ1世は戦いに敗れた。スコットランドとの和約に必要な経費を得るために招集した長期議会は、チャールズ1世の政策を批判し、側近の処刑を要求して、さまざまな国政改革を行った。当初、議会の要求を受け入れていたチャールズ1世も、1642年、自ら兵を率いて議会に乗り込み、結局、内戦の引き金を引くことになった。しかし戦いは国王側に不利に進み、スコットランド軍に投降したチャールズ1世は、議会に引き渡され、1649年1月30日、処刑された。イギリス史上初めて「人民の名において」処刑されたこの国王は、政治的判断に誤りを犯したことは否定できないが、チューダー朝以来山積してきた国家的諸矛盾が、彼の治世に噴き出してしまったという点では不運な国王であったともいえよう。(書籍版 1987年)
[小泉 徹]
スチュアート朝第3代のイギリス王(在位1660~85)。チャールズ1世の子。ピューリタン革命の難を逃れて1645年大陸に逃亡し、父王の処刑後も幾度か革命政府に対し武力抵抗を試みたがいずれも失敗し、困窮した亡命生活を余儀なくされた。しかしクロムウェルの死後の極度の政治的混乱のゆえに、60年議会と交渉のすえブレダ宣言を提示したうえ帰国して、王政復古を実現した。即位後は、亡命時代以来の側近クラレンドン伯を重用して革命の傷跡の修復に努めたものの、議会はピューリタンに対する復讐(ふくしゅう)心に燃え、一連の弾圧立法を通過させた。外交上はオランダと二度にわたり戦争を行い、また1670年にはフランス王ルイ14世とドーバー条約を結んで親仏、親カトリックに傾斜、国内では信仰自由宣言Declaration of Indulgenceを発してカトリック保護策をとったため、議会と衝突し、しだいに反動的な姿勢を強めた。若いころの父の処刑や亡命体験ゆえに融通むげな性格であったといわれ、科学に関心を示し、王立協会を創立して自らパトロンとなる一方で、議会の激しい抵抗を退けてカトリックたる弟ヨーク公ジェームズを次期王位継承者として譲らぬなど、頑強な一面ものぞかせた。ロンドンの大火とペスト大流行、教皇主義者陰謀事件など、彼の治世を通じて社会不安が続き、国王大権を行使してのそのカトリック化政策、議会との確執は、名誉革命の遠因となった。
[大久保桂子]
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アメリカの黒人歌手,ピアニスト,作曲家。1932年生れともいわれる。7歳のとき病気で視力を失い,盲学校でピアノを学んで卒業後すぐにプロ・ミュージシャンとなる。さまざまな試みの後,1954年,リズム・アンド・ブルースにゴスペルやジャズの要素を取り入れた独自の音楽を作り上げ,それがソウル・ミュージックを生む基盤となった。《ホワッド・アイ・セイWhat'd I Say?》《わが心のジョージアGeorgia On My Mind》《愛さずにはいられないI Can't Stop Loving You》など日本でも親しまれているヒット曲が多い。
執筆者:中村 とうよう
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出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
…国民の王室に対する期待が,大英帝国の頃とは著しく変化してきている現在,女王はイギリスおよびイギリス連邦の首長として,忠実にその象徴的任務に従い,国事に参加してスピーチを行うほか,世界各国を親善訪問し,75年には公式に日本を訪れている。夫君との間にはチャールズ,アンドルー,エドワードの3王子とアン王女がある。長男の皇太子チャールズCharles Philip Arthur George(1948‐ )は,81年ダイアナ妃と結婚し,77年の女王即位25周年祝典に続いて,国民の祝福を受けた(96年離婚,97年ダイアナ事故死)。…
…〈ソウル〉はスラングとして,アメリカ黒人間の共通意識,特有の資質などを感覚的に表し,ソウル・ミュージックも〈魂の音楽〉という意味に解するよりも,アメリカ黒人の自己確認のための音楽といった含みでとらえるべきであろう。 強烈なビートとステージ・アクションで聴衆を引きつけていたリズム・アンド・ブルースがソウル・ミュージックへ転換する先駆をなしたのは,歌手でピアニストのレイ・チャールズと歌手のサム・クックSam Cooke(1935‐64)である。ともに50年代後半に,ゴスペルの要素をリズム・アンド・ブルースに持ち込んだ曲をヒットさせた。…
※「チャールズ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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