クラレンドン(読み)くられんどん(英語表記)Edward Hyde,1st Earl of Clarendon

日本大百科全書(ニッポニカ) 「クラレンドン」の意味・わかりやすい解説

クラレンドン
くられんどん
Edward Hyde,1st Earl of Clarendon
(1609―1674)

イギリスの政治家。ピューリタン革命直前の議会で王の専制を非難したが、のち国王支持に傾き、革命中は国王派として戦い、敗れて皇太子チャールズ(後のチャールズ2世)とともに亡命。亡命中に皇太子の重臣となり、1660年王政復古により帰国貴族に列せられるとともに、新王チャールズ2世の最高政治顧問として政治を指導した。議会は国教の安定を図って、クラレンドン法典と称される厳しい非国教徒弾圧法を定めた(1661~1665)が、彼自身は消極的で宥和(ゆうわ)政策に努め、そのため不満を招き、1667年第二次イギリス・オランダ戦争の失敗から失脚、亡命。二度の亡命中に、国王派によるピューリタン革命史『大反乱史』を完成した。

松村 赳]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「クラレンドン」の意味・わかりやすい解説

クラレンドン(伯)
クラレンドン[はく]
Clarendon, Edward Hyde, 1st Earl of

[生]1609.2.18. ウィルトシャー,ディントン
[没]1674.12.9. ルーアン
イギリスの政治家,歴史家。ハイド家の出身。長期議会に選出され,国王チャールズ1世専横を改めさせようと努力。清教徒革命に際しては王に従い,敗北後は皇太子 (のちのチャールズ2世) とともに海外に亡命。 1660年王政復古によって帰国し,国務卿,大法官として体制の中心人物となり,翌年授爵。「クラレンドン法典」を出して国教会の確立に努めたが,イギリス=オランダ戦争 (第2次) に失敗して失脚し,再度フランスに亡命 (1667) 。『大反乱史』 History of the Great Rebellionの著述がある。メアリー2世,アン女王の外祖父にあたる。

クラレンドン
Clarendon, George William Frederick Villiers, 4th Earl of

[生]1800.1.12. ロンドン
[没]1870.6.27. ロンドン
19世紀のイギリスの政治家。自由党内閣の外相を歴任。パーマストン内閣の外相として 1858年,アロー戦争での武力行使を是認した。ラッセル内閣の外相として,薩摩藩士松木弘安と接見し,日本国内諸雄藩が貿易参加を希望している実情を知り,慶応2 (1866) 年2月,駐日公使 H.パークスに,日本の国内変革に対する厳正中立の維持を訓令した。次いで第1次グラッドストン内閣でも外相となり,いわゆる小英国主義外交政策を展開したが,過労のため突如死去した。

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