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ヤン・ソビェスキJan Sobieskiともいう。ポーランド王(在位1674~96)。有能な軍司令官として、オスマン・トルコ帝国軍との戦争で活躍したため、国王に選出された。初めトルコとの有利な講和を結ぼうとしたが、果たさず、オーストリアと結んで、トルコに対抗した。1683年ウィーンがトルコ軍に包囲されたとき、自らポーランド軍を率いてトルコ軍を撃退し、ヨーロッパに対するトルコの脅威を最終的に終わらせ、全キリスト教世界の称賛を受けた。その後、神聖ローマ帝国、教皇、ベネチア共和国、ロシアとの間に神聖同盟を結び、トルコに対抗したが、モルダビアの遠征には失敗した。内政面では王権の強化に努めたが失敗し、国政の混乱を収拾することはできなかった。
[安部一郎]
「ヨハン[ルクセンブルク家]」のページをご覧ください。
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…スウェーデン王カール9世は,ジグムントとの対立で自分を支持してくれた貴族に報いるため,1601年にリボニアへの侵入を開始した。スウェーデン王位とリボニアをめぐるスウェーデンとの戦争は,60年のオリワの講和でヤン2世カジミエシュJan II Kazimierz(1648‐68)が両者を最終的に諦めるまで断続的に続くことになる。とくに1655年に始まるカール10世グスタフ(1622‐60)の侵略はほぼポーランド全土に及んだ。…
…ポーランドの王家も第7代ジグムント2世アウグストZygmunt II Augustで男系が絶えて断絶する。こののち選挙王制下でジグムント2世の甥がジグムント3世として,またその子らがそれぞれブワジスワフ4世,ヤン2世カジミエシュJan II Kazimierzとしてポーランド王に選ばれている。これらの諸王は確かにヤギエウォ家の血を引くが,ワーザ朝Wazaの名で呼ばれることが多い。…
※「ヤン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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