日本大百科全書(ニッポニカ) 「三春藩」の意味・わかりやすい解説
三春藩
みはるはん
陸奥(むつ)国田村郡三春(福島県田村郡三春町)周辺を領有した外様(とざま)藩。戦国時代までは田村氏の居城、近世初期は会津領であったが、1627年(寛永4)会津藩主加藤嘉明(よしあき)の三男明利(あきとし)が3万石を分与されて入部して立藩。翌28年明利は二本松に移り、二本松から松下長綱が入部した。しかし1644年(正保1)長綱は精神に異常をきたしたため除封された。かわって常陸(ひたち)国(茨城県)宍戸(ししど)から秋田俊季(としすえ)が5万5000石で入封、以後明治初年まで11代230年余在封した。この間、2代盛季(もりすえ)のとき、弟季久(すえひさ)に5000石を分与し、幕末まで三春藩は5万石であった。領内は阿武隈(あぶくま)山間の高冷狭層の地が多く、村竿(むらざお)を用い、鬮(くじ)による土地割替えを実施した。凶作飢饉(ききん)が相次ぎ藩財政は困難を極めた。中期以後、馬産、タバコ栽培、養蚕業を奨励した。初期から俸禄(ほうろく)制であったが財政縮小のためとった面扶持(めんふち)制(家族数による支給)は特色。1868年(慶応4)戊辰(ぼしん)戦争では、西軍にいち早く降伏して無血開城を実現し、1871年(明治4)廃藩置県で三春県となり、平(たいら)県、磐前(いわさき)県を経て福島県に編入された。
[誉田 宏]
『『福島県史 3 近世 2』(1970・福島県)』