戯曲家、評論家。明治24年2月23日広島県生まれ。1910年(明治43)旧制第一高等学校に入学したが結核で中退。のちカリエスの併発もあって生涯の多くを闘病に過ごした。西田幾多郎の『善の研究』に傾倒、西田天香(てんこう)の一燈園生活も経験。1916年(大正5)から翌年にかけて白樺(しらかば)派の衛星誌『生命の川』に戯曲『出家とその弟子』を連載、1917年単行本となり大きな反響をよんだ。以後『歌はぬ人』『布施太子之入山』などの宗教的倫理的作品を刊行、『父の心配』『赤い霊魂』などには社会的視野の広がりを示し、1926年に『生活者』を創刊、求道的青年の知的連帯の場となった。一方『愛と認識との出発』『静思』『超克』『絶対的生活』『生活と一枚の宗教』などの論集を発刊し、情欲に身を焼く自己を対極として、キリスト教、仏教、神道(しんとう)にも及ぶ求道的遍歴に思想を深め、独自の地歩を固めた。晩年には『祖国への愛と認識』『日本主義文化宣言』などで大乗的生命主義を説き、ファシズム正当化の理論づけを果たした。書簡集『青春の息の痕(あと)』や農本主義青年を主人公とした『浄(きよ)らかな虹(にじ)』などの小説もある。昭和18年2月12日没。
[高橋新太郎]
『『倉田百三選集』全5巻(1953~54・春秋社)』▽『鈴木範久著『倉田百三――近代日本人と宗教』(1970・大明堂)』
大正・昭和期の劇作家,評論家
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
戯曲家,評論家。広島県生れ。生家の家業は呉服商。三次(みよし)中学を経て一高に入学。西田幾多郎の《善の研究》の影響を受け《一高校友会雑誌》に論文を発表。1913年結核にかかり一高を退学,療養生活ののち西田天香の一灯園に入る。16年から17年にかけて《白樺》の衛星誌《生命の川》に戯曲《出家とその弟子》を発表,岩波書店より刊行され,広く読まれた。その後《白樺》誌上で活躍,書きためていた評論,感想をまとめて《愛と認識との出発》と題し,21年岩波書店より刊行した。これは阿部次郎の《三太郎の日記》とともに戦前までの旧制高校生の青春必読の書となったもので,愛,友情,信仰,性欲などを通して人生を求道的に考察しようとした内省的エッセーである。《白樺》の後身《不二》を経て26年から《生活者》を主宰,倉田を慕う若い人々が集まった。満州事変前後より右傾,ファッショ的発言が多くなった。一高時代の友人にあてて書いた書簡集《青春の息の痕》(1938)も青春告白の書である。
執筆者:紅野 敏郎
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1891.2.23~1943.2.12
大正・昭和前期の劇作家・評論家。広島県出身。一高中退。在学中西田幾多郎(きたろう)の影響をうける。結核を病んだのち宗教的思索に没頭し,西田天香(てんこう)の一灯園に入る。1917年(大正6)に刊行された戯曲「出家とその弟子」は大正期宗教文学の代表作。21年の論集「愛と認識との出発」は青春教養書として読まれた。大正期は白樺派の思想・作風に接近。26年(昭和元)「生活者」創刊。のち日本主義に傾き国民協会などの幹部となる。
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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