周防内侍(読み)スオウノナイシ

デジタル大辞泉 「周防内侍」の意味・読み・例文・類語

すおう‐の‐ないし〔すはう‐〕【周防内侍】

[?~1110ころ]平安後期の女流歌人。周防守平棟仲の娘。名は仲子後冷泉ごれいぜい後三条白河堀河の4天皇女官として仕えた。後拾遺集以下の勅撰集に35首が入集家集に「周防内侍集」がある。

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精選版 日本国語大辞典 「周防内侍」の意味・読み・例文・類語

すおう‐の‐ないしすはう‥【周防内侍】

  1. 平安後期の女流歌人。周防守平棟仲の女。本名仲子。後冷泉天皇から堀河天皇までの四朝にわたり宮廷に仕えた。作品は「後拾遺集」「千載集」「新古今集」などに収められている。家集に「周防内侍集」がある。天永年間(一一一〇‐一三)に没か。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「周防内侍」の意味・わかりやすい解説

周防内侍
すおうのないし

生没年不詳。平安中期の女流歌人。本名仲子。平棟仲(むねなか)の娘、母は源正職女小馬内侍(こまのないし)。後冷泉(ごれいぜい)、後三条(ごさんじょう)、白河(しらかわ)、堀河(ほりかわ)の4朝に仕え、1093年(寛治7)「郁芳門院根合(いくほうもんいんねあわせ)」、95年(嘉保2)「鳥羽殿前栽合(とばどののせんざいあわせ)」、1102年(康和4)「堀河院艶書合(えんしょあわせ)」などに活躍。09年(天仁2)ごろ、ほぼ70歳で没したらしい。家集に『周防内侍集』があり、『後拾遺集(ごしゅういしゅう)』以下勅撰(ちょくせん)集に35首をとどめる。知的に洗練された詠風で即詠にも優れていた。

犬養 廉]

 春の夜の夢ばかりなる手枕(たまくら)にかひなく立たむ名こそ惜しけれ

『稲賀敬二「周防内侍伝記考」(『国語と国文学』1954.8所収・至文堂)』『上村悦子著『王朝女流作家の研究』(1975・笠間書院)』


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改訂新版 世界大百科事典 「周防内侍」の意味・わかりやすい解説

周防内侍 (すおうのないし)

平安朝の女流歌人。生没年不詳。1111年(天永2)ごろ70歳で没か。周防守平棟仲の娘,本名仲子。後冷泉,後三条,白河,堀河,鳥羽の5朝に典侍(ないしのすけ)として仕える。右中将源信周との恋の贈答があるが,夫や子女の所伝はない。《郁芳門院根合》《高陽院殿七番歌合》《堀河院艶書合》に出詠。《後拾遺和歌集》以後の勅撰集に35首入集。家集《周防内侍集》を残す。《百人一首》に〈春の夜の夢ばかりなる手枕にかひなく立たむ名こそ惜しけれ〉を収める。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「周防内侍」の解説

周防内侍 すおうの-ないし

?-1109ごろ 平安時代中期-後期の歌人。
平棟仲(むねなか)の娘。後冷泉(ごれいぜい),後三条,白河,堀河の4代の天皇につかえ,宮廷歌人として活躍。歌は「後拾遺和歌集」などの勅撰(ちょくせん)集に35首がみえる。天仁(てんにん)2年ごろ死去。70歳余。名は仲子。家集に「周防内侍集」。
【格言など】春の夜の夢ばかりなる手枕にかひなくたたむ名こそ惜しけれ(「小倉百人一首」)

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