改訂新版 世界大百科事典 「地方直し」の意味・わかりやすい解説
地方直し (じかたなおし)
江戸時代,幕府が蔵米取りの旗本に地方を知行として与えることをいう。1633年(寛永10)と97年(元禄10)の地方直しが大規模かつ有名である。寛永の地方直しでは1633年2月7日御書院番,御花畠番(小姓番),大番の隊士1000石以下の者に一律200石ずつ加増され,それまで蔵米を支給されてきた者は知行地に直して200石ずつ与えられた。この地方直しの実施は旗本の窮乏を救済すると同時に,この総加増が同年に制定された三番士の軍役制の整備と密接な関連があった。寛永以後も地方直しは絶えず行われたが,蔵米を知行地に改めることは旗本の救済と考えられ,また恩賞の意味をももっていた。
元禄の地方直しは97年7月26日幕府が500俵以上の蔵米を支給されてきた旗本に対し,蔵米の制を廃し知行地を与えるという法令を出して,翌年から実施された。その対象となった旗本は6500俵以下500俵以上のもので523人に及んだ。これを考案し建策したのは勘定奉行荻原重秀で,そのねらいとするところは幕府の財政立直しとともに幕府権力の集中強化にあった。この地方直しの特徴として3点をあげることができる。(1)旗本に地方を給する場合,〈三つ五分物成〉の知行を基準としたことである。これは知行高1石の年貢を3斗5升(1俵)と決め,年貢徴収に枠をはめ旗本の恣意的な年貢収奪強化を排除したものである。(2)幕府直轄領と旗本知行所を大幅に入れ替え,再配分し,比較的生産力の高い江戸周辺地域などを幕領に編成し,旗本知行所を他へ移動させた。(3)旗本知行所では一村を数人の旗本で分割知行する,いわゆる相給(分郷)形態が多くとられた。この地方直しの前提として元禄検地が実施され,この検地を通じて旗本の地方陣屋,手作地などが廃止され,相給形態とともに農民に対する知行地支配が骨抜きにされた。軽犯罪をのぞく領主裁判権の幕府への吸収とあいまって,旗本は単なる年貢収得者の地位に固定されたのである。
執筆者:森 安彦
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報