江戸中期の幕臣,政治家。通称五左衛門のち彦次郎。曾祖父は武田の遺臣。徳川氏に仕え,父種重は蔵米200俵をうける勘定所下役。彼も勘定所下役から出発,延宝(1673-81)の畿内総検地で頭角をあらわし,将軍綱吉初政に断行された総代官の会計検査に特命されて当たったといわれ,1687年(貞享4)に勘定頭差添役(のちの勘定吟味役)に進み,95年(元禄8)には彼の建議により,いわゆる元禄の改鋳がおこなわれ(元禄金銀),96年には勘定頭に栄進,以降1712年(正徳2)までその職にあって幕府の財政問題を主宰した。彼の改鋳は悪貨を出して改鋳差益金(出目)を稼ぐとともに,物価を混乱させたと非難する者も少なくないが,(1)元禄期の拡大された経済に見合う通貨を供給する,(2)金銀両通貨圏のバランスを取り直すための両通貨の品位の調節という積極面を見落とすことはできない。新井白石一派からは不俱戴天の敵とねらわれ,12年の銀座商人摘発事件に連座して罷免され獄死。
執筆者:大石 慎三郎
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(深井雅海)
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江戸中期の幕府役人。1674年(延宝2)勘定役に任用され、5代将軍徳川綱吉(つなよし)の代に至りその才能を認められて躍進。87年(貞享4)勘定頭差添(さしそえ)役(後の勘定吟味(ぎんみ)役)に任ぜられ、96年(元禄9)には勘定奉行(ぶぎょう)に昇り、従(じゅ)五位下近江守(おうみのかみ)に叙任。俸禄(ほうろく)もしばしば加増されて150俵から3700石に至り、勘定所の独裁者的存在となった。重秀は幕府財政の窮乏を通貨の悪鋳、増発によってしのぐ政策を95年から実施し、ことに1710~11年(宝永7~正徳1)悪鋳を連続したので、経済界は混乱した。そのため新井白石(あらいはくせき)の懸命の糾弾を受け、12年失脚した。その死後、莫大(ばくだい)な賄賂(わいろ)を受けていたことが発覚し、その子乗秀は3000石を没収された。
[辻 達也]
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1658~1713.9.26
江戸中期の幕閣。勘定奉行。種重の次男。母は横松氏の女。通称五左衛門・彦次郎。近江守。法名日秀。1674年(延宝2)勘定衆に加わり,83年(天和3)勘定組頭,87年(貞享4)勘定頭3人の罷免で,勘定頭差添役(のちの勘定吟味役)になり,96年(元禄9)勘定奉行に昇進。5代将軍徳川綱吉の後半の幕府財政を一手に握り,貨幣改鋳(元禄金銀)による差額を幕府の益金とし,長崎貿易の代物替を増額して運上金を徴収し,全国の酒造家に50%の運上銀をかけるなど,幕府歳入の増加をはかった。6代家宣の代にも財務を担当して悪貨鋳造(宝永金銀)を行ったが,1712年(正徳2)新井白石の3度にわたる弾劾で失脚。
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…綱吉は遺金分配を廃し,80年堀田正俊を農政・国用専管の老中とし,82年(天和2)勘定吟味役を創置,不正代官51名を死罪または免職にした。89年(元禄2)小普請金を創設し収入増をはかったが,館林家臣団の幕臣編入,役料復活,綱吉の大名邸御成(おなり)と恩賜,造寺造仏への支出が膨張したので,荻原重秀は95年より慶長金銀を改悪し500万両の利益を収めたという。97年6000両の酒運上,99年貿易利潤から年数万両を収公する長崎運上金制度を設定した。…
…その後金銀山はしだいに衰えの速度を速め,寛文期(1661‐73)には衰退の極に達した。91年(元禄4)奉行荻原重秀は海岸から鉱山に向けて大疎水(南沢疎水。900m余)を掘るなど10年ほどの間に総額15万両にも及ぶ大投資を行い,鉱山は一時活気をとり戻すが,享保改革にともなって大縮小を余儀なくされた。…
…その対象となった旗本は6500俵以下500俵以上のもので523人に及んだ。これを考案し建策したのは勘定奉行荻原重秀で,そのねらいとするところは幕府の財政立直しとともに幕府権力の集中強化にあった。この地方直しの特徴として3点をあげることができる。…
… 実質的な施策は,家宣の治世が3年余であったので件数は乏しいが,12年勘定吟味役を復活したことは,財政・統治機構の整備強化の面で享保改革の前駆をなす。これと関連して,白石の強い糾弾でようやく家宣も認めた勘定方の独裁者荻原重秀の奉行免職は,従来重秀への評価が白石の《折たく柴の記》の記事に影響されてもっぱら重秀の善悪能否の問題に限られており,今後より客観的な評価を必要とするが,ともかくひとつの政策的転機であった。重秀は家宣の将軍就任直後,財政難解決のため通貨改鋳を提案し,白石の反対により拒否されたが,独断で悪鋳を繰り返した。…
…このようにわずか5ヵ年間に銀貨が4回,金貨が1回改鋳が行われ,幣制は混乱した。これは元禄期の改鋳によって生じた金銀比価の不均衡を調整しようとしたものであったが,銀座年寄が幕府の勘定奉行荻原重秀と結託して,幕府は改鋳益金を収得し,銀座年寄は銀座収入の増大を意図したことによるところが大きい。その結果,江戸幕府は14年(正徳4)5月銀座の粛正を断行した。…
※「荻原重秀」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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