天麩羅(読み)テンプラ

デジタル大辞泉 「天麩羅」の意味・読み・例文・類語

テンプラ

魚・貝・野菜などに小麦粉を卵・水で溶いた衣をつけ、植物油で揚げた日本料理。野菜類のものを精進揚げといって区別することもある。また西日本では、薩摩揚げをいう所もある。
《うわべを作るところから》
めっきしたもの。「テンプラの金時計」
㋑にせもの。「テンプラ学生」
《「テンプラを揚げる」に掛けたもの》ゴルフティーショットボールを空高く打ち上げ、飛距離の出ないミスショットのこと。
[補説]語源は、ポルトガル語のtempero; têmporasまたは、スペイン語のtemploからなどの諸説がある。「天麩羅」とも書く。

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精選版 日本国語大辞典 「天麩羅」の意味・読み・例文・類語

テンプラ【天麩羅】

  1. 〘 名詞 〙 ( [ポルトガル語] tempero 「調理」の意 )
  2. 魚介類に、水溶きした小麦粉の衣をつけて、胡麻油菜種油などで揚げた料理。江戸時代にはじまる。ふつう野菜類を揚げたものは精進揚げという。
    1. [初出の実例]「てんふらは何魚にても温飩の粉まぶして油にて揚る也」(出典:歌仙の組糸(1748)一〇月)
  3. テンプラうどん(天麩羅饂飩)」「テンプラそば(天麩羅蕎麦)」の略。
    1. [初出の実例]「蕎麦麺は〈略〉天麩羅・おかめ・花巻・卵とぢ・鴨南蛮など甚だ多し」(出典:東京風俗志(1899‐1902)〈平出鏗二郎〉中)
  4. 小麦粉を練った種を油で揚げて砂糖の衣をかけた菓子。〔随筆・嬉遊笑覧(1830)〕
  5. ( 表面(衣)と中身が違っているというところから ) めっきしたもの。また、にせ学生。
    1. [初出の実例]「くさりはきんのてんぷらと見えたり」(出典:安愚楽鍋(1871‐72)〈仮名垣魯文〉初)

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改訂新版 世界大百科事典 「天麩羅」の意味・わかりやすい解説

天麩羅 (てんぷら)

日本の代表的な揚物料理。現在では魚貝類や野菜に,水溶きした小麦粉を衣につけて揚げたものをいい,野菜を材料としたものは精進(しようじん)揚げともいう。

江戸時代,てんぷらは上方文化圏と江戸文化圏では名称は一つながら実体を異にする食べ物であった。上方では魚のすり身を,わんのふたなどで腰高まんじゅうの形にこしらえ,これを素揚げにしたもの,すなわち今日いう薩摩揚げをてんぷらと呼び,江戸ではもっぱら衣揚げをてんぷらと称していた。てんぷらの文献上の初見は1669年(寛文9)刊,京の医師奥村久正による《食道記》に〈てんふらり〉の名で記載されているもので,〈小鳥たたきて,かまくらえび,くるみ,葛たまり〉と記されている。これは小鳥のミンチをあん掛けにしたもののようで,この記述では必ずしも揚物と限定しているようにはみえない。また,江戸流の衣揚げの初出は1748年(寛延1)刊の《料理歌仙の組糸》で,ここには〈てんふらは何魚にても温飩(うんとん)の粉まぶして油にて揚る也……きくの葉てんふら,又,牛蒡(ごぼう),蓮根,長いもその他何にてもてんふらにせん時は温飩の粉を水醬油とき塗付て揚る也〉とあって,魚は小麦粉をまぶしただけのものともよめるが,野菜の方は明らかに水で小麦粉をといた衣揚げで,今日のてんぷらと大差はない。上方流と江戸流では実体の違っていたてんぷらが,衣揚げこそてんぷらであるというような地位にのしあがっていったのは,《言海》はじめ多くの近代国語辞典が江戸流てんぷらだけを採択したせいかと考えられる。明治以降,方言が中央語に収れんされていく過程でてんぷらも巻添えをくったものであろう。語源については南蛮語源説,スペイン語のテンプロ(寺),テンポラ(カトリックの金曜日の祭りの名),テンペロ(調理)などの転訛(てんか)したものとする説があるが,これはてんぷらが大航海時代に日本へもたらされた料理という先入見に基づくもので,当時の文献的証拠は現在発見されていない。家康のタイのてんぷら中毒死説はこのような巷間の俗説に便乗したもので,文献には〈鯛(たい)をごまの油で揚げ〉と書かれているだけである。

てんぷらが江戸の人気を博したのは屋台の食べ物として庶民に歓迎されたからで,天明(1781-89)ころの黄表紙には点景としててんぷら屋台が登場する。それらの挿絵などからみると材料は串(くし)刺しにされることも多く,今日いう串揚げなどもてんぷらと呼ばれていたらしい。蜀山人の〈左に盃をあげ,右にてんぷらを杖つきて〉(《から誓文》)という一節も,当時のてんぷらの形状を裏書きしているといえよう。当初は,もっぱら屋台が中心で高級な食べ物ではなかったが,嘉永(1848-54)ころから居つきの店で天ぷらを業にする者も多くなり,当時の著名料亭の中にもてんぷらを看板にする店も現れた。明治の東京で最も繁盛したてんぷら屋は銀座の天金と新橋の橋善で,てんぷらはすしとともに東京名物とされるようになった。一方小さな座敷で揚げ場を前にグループで卓を囲む,いわゆるお座敷天ぷらが台頭したのは,明治の終りから大正へかけてのことである。また,関東大震災で東京のてんぷら職人が関西へ移住したため,以降阪神地区のてんぷら技術は著しく向上したといわれている。
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揚げ油は,ゴマ,ナタネ,ダイズ,米ぬか,トウモロコシ,綿実,ベニバナ(サフラワー)などを用いる。味と香りの点でゴマ油が優れているが,高温で揚げないとべたつくことがあるので,綿実のサラダ油などを20~80%混ぜるとよい。衣に使う小麦粉は薄力(はくりき)粉(グルテン含量10%以下)を用い,ふるいにかけておく。鶏卵黄身白身をよく混ぜておく。

 衣は,小麦粉35%,鶏卵15%,水50%の割合であらく混ぜる。水になじまぬ粉の粒があるくらいがよい。夏は氷水を使い,長く置いて粘りを出さぬように注意する。粉は5人前で180gほどあればよい。揚げ方では,まず揚げている間,油の温度を一定(175℃)に保つことがたいせつである。油の中へ衣をたらすと少し沈み,すぐ浮き上がってくれば適温で,種の入れ方や火力の加減で適温を保ち,温度が上がり過ぎた場合は新しい油を加えるなどして調節する。種は泳がせるようにゆっくり入れ,入れ終わったらすぐ揚げかすをすくい取る。揚がり加減は種からの泡の出ぐあいで見る。種の心まで熱が通ると水蒸気が活発に出て振動しているのが,はしで挟むとよくわかる。油から出すときは縦にして振って油を切り,金網の上にとる。かき揚げは,小さく切った種を衣と混ぜ,スプーンなどでひと塊にして,なべのへりから静かに流し入れ,はしで押さえてある程度固まってから,なべの中央へ移す。衣は鶏卵を多めに入れて,火の通りをよくする。油の温度はやや低めの170℃くらいがよい。天つゆは,だし4,みりん1,しょうゆ1の割とするのが標準で,混ぜて一度煮立てる。薬味はおろしダイコンに,おろしショウガを添える。食塩,黒コショウ,レモン,化学調味料などもよい。
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百科事典マイペディア 「天麩羅」の意味・わかりやすい解説

天麩羅【てんぷら】

魚介や野菜を,水と卵でといた小麦粉の衣をつけて揚げた料理。もとは南蛮料理で語源については諸説あるが,定かではない。小エビ,貝柱など小さな材料をまとめて揚げたものをかき揚げ,ゴボウ,ハスなどの野菜だけをとり合わせたものを精進揚げという。揚げ油は,ダイズ油を主体としたてんぷら油が市販されているが,カヤ油,ゴマ油,オリーブ油などがよい。つけ汁(天つゆ)をつけ,ダイコンおろし,ショウガを薬味とする。

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世界大百科事典(旧版)内の天麩羅の言及

【はんぺん(半片)】より

…初めはかまぼこ同様ハモなどの高級魚を用いていたが,江戸末期には米粉などの混ぜ物の多い粗製のものが増え,形も角形が多くなったと《守貞漫稿》は書いている。また京坂では,はんぺんを揚げたもの,つまり,今の薩摩揚げと同じものを〈てんぷら〉と呼んでいた。現在ではサメなどを用いるものが多くなり,昔ながらの上質のものをつくる店は少なくなった。…

※「天麩羅」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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