出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
茨城県筑西市女方にある弥生時代中期の代表的な墓地遺跡。鬼怒川の東岸に接近した比高約5mの台地上に位置し,わずか20m四方の範囲に径80cmほどの小竪穴が41個発見された。各竪穴中には数個の弥生土器がおかれており,最も多い3号竪穴では11個の土器が埋置されていた。土器中あるいは土壙中から碧玉製の管玉を出土するものも多い。出土した230余個におよぶ土器のうち,口縁部に人面を付けた高さ70cmの壺は紹介されることが多く有名である。1939年の発掘調査後は,本遺跡の土器を保有する土壙群が,農耕儀礼をはじめとするなんらかの祭祀に関連があると解釈されてきた。しかしいまでは,土器に人骨の遺存こそ認められなかったが,東日本の弥生時代中期の典型的な再葬墓遺跡として著名となっている。これらの土器はまた,関東地方の初期弥生土器の標式的なもので,東京国立博物館に収められている。
執筆者:工楽 善通
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
茨城県筑西(ちくせい)市女方、鬼怒(きぬ)川左岸台地上にある縄文時代後期末以降、晩期、弥生(やよい)文化にわたる遺跡。1939年(昭和14)宇都宮市で医者をしていた田中国男が弥生時代中期の円形土壙(どこう)を40余か所発掘。これら土壙内には人面付壺(つぼ)など多数の土器が埋納されていた。土壙は、一度埋葬または風葬された遺骨を数個の土器内に分骨して収めた再葬墓で、一円形土壙内の土器の数は3個から多いものは8個と一定せず、40余の土壙から出土した土器は200個以上の数に達した。当時は墓地ということがわからず、祭祀(さいし)遺跡と考えられた。また縄文文化と弥生文化が接触した過渡的時期の所産と考え、44年大塚巧芸社から『縄文式弥生式接触文化の研究』と題する鮮明な図版の多い好著が刊行された。この女方出土の貴重な遺物は一括、東京国立博物館へ寄贈された。
[江坂輝彌]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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