中国古代において,文書や貨物を入れた袋,箱などを封印するために,かけた紐や検という木簡に着けた粘土。後世の封蠟に当たる。封泥の上に押して印影が明らかであるように,漢印の印文は陰刻が多い。封泥の色は,ふつう赭黄(しやこう)色であるが,深赭,浅赭,赭黄,赭紅,灰紫などの例もある。皇帝は紫泥を用いたという。封泥は1822年(道光2)に四川省成都で多数発見されてから注目をあつめ,山東省臨淄(りんし)や朝鮮平壌の楽浪郡治址などから出土し,漢代の地理・官制の研究の資料となっている。1972年馬王堆1号漢墓からは,封印をした状態の陶壺が出土した。封泥そのものが注目されたのは清末になってのことである。呉式芬,陳介祺による《封泥攷略》が封泥に関する書の最初で,のち羅振玉の《斉魯封泥集存》などの研究書が出た。なお,封泥は中国にはじまったものと思われるが,西の方にも伝わったようである。タクラマカン砂漠のニヤ遺跡などで発掘されたカローシュティー文字の木簡にも封泥がなされており,封泥のしかたの理解に役立つ。
執筆者:大庭 脩
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封蝋(ふうろう)と同様に、中国古代において器物や文書に封をするために用いた小さな粘土塊。貴重品に封印を施すことは、古代オリエントでは早くからなされていたが、中国では戦国時代から行われ、漢代にもっとも盛んになって、朝鮮楽浪(らくろう)郡治址などからも封泥が出土している。壺(つぼ)や竹行李(こうり)のような器物に封をする場合は、縛った紐(ひも)の結び目に、くぼみのある小さな木片をあてがって、粘土をつけて印を押す。文書の場合は、紙が普及する以前は細長い短冊形の竹簡や木簡であったため、これを紐に通して束ねたうえで、紐をかける溝を彫った板を上下に当てて縛り、紐の上に粘土を置いて印を押したと考えられる。1972年に湖南省の長沙馬王堆(ちょうさまおうたい)1号漢墓から発見された封泥には「軑侯(たいこう)家丞」の銘があり、墓の主が特定された。このように封泥の銘には、持ち主や文書の発信人の名、官職、地名などが表されていることが多く、出土した遺跡の性格を知るうえで重要な資料となっている。
[植山 茂]
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…私印は一般に官印より小さく,形式は一面印のほかに両面,五・六面の多面印,臣妾印,書簡印など精巧な製品が多く,変化があり美しい。官印はその地位の具体的な証拠であるほかに,簡牘の封泥に用いた。印文が陰刻であるのは封泥に印したとき鮮明に文字があらわれるためである。…
…その起源は明らかでないが,漢時代ころには文書の封じ目に,ちょうどヨーロッパの封蠟のように一種の粘土を使い,その泥に印を押した。これを封泥という。そのため後に朱印を使うようになってからでも,朱肉のことを印泥と呼ぶのである。…
※「封泥」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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