島秀雄(読み)しまひでお

日本大百科全書(ニッポニカ) 「島秀雄」の意味・わかりやすい解説

島秀雄
しまひでお
(1901―1998)

東海道新幹線建設の中心となった技術者。大阪府生まれ。1925年(大正14)東京帝国大学工学部機械工学科卒業後、鉄道省に入省し、国鉄(現、JR)の動力近代化を推進。1955年(昭和30)国鉄理事技師長に就任し、東海道新幹線の実現に尽力した。1969~1977年宇宙開発事業団(現、宇宙航空研究開発機構理事長を経て、同事業団顧問に就任。1960年毎日工業技術賞、1965年朝日賞、1969年ジェームズ・ワット国際ゴールドメダルを受賞。同年文化功労者、1971年勲一等瑞宝章、1994年(平成6)文化勲章受章

[編集部]

『高橋団吉著『新幹線をつくった男 島秀雄物語』(2000・小学館/PHP文庫)』

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20世紀日本人名事典 「島秀雄」の解説

島 秀雄
シマ ヒデオ

大正〜平成期の機械工学者 元・宇宙開発事業団理事長;元・国鉄技師長。



生年
明治34(1901)年5月20日

没年
平成10(1998)年3月18日

出生地
大阪府大阪市

学歴〔年〕
東京帝大工学部機械工学科〔大正14年〕卒

主な受賞名〔年〕
毎日工業技術賞〔昭和35年〕,朝日賞〔昭和40年〕,スペリー賞〔昭和42年〕,ジェームズ・ワット国際ゴールドメダル〔昭和44年〕,文化功労者〔昭和44年〕,勲一等瑞宝章〔昭和46年〕,文化勲章〔平成6年〕

経歴
鉄道省に入省。D51など国産蒸気機関車の多くを設計を手がけた。昭和23年国有鉄道理事工作局長に就任。26年桜木町事件の責任をとり辞職するが、住友金属工業顧問を経て、30年国鉄技師長として復職。東海道新幹線建設を構想、推進する。38年10月1年後の開業が見通せたとき、予算超過の責任をとる形で退陣した。44〜52年宇宙開発事業団理事長を務め、静止衛星「きく2号」の打上げに成功した。のち顧問。平成6年文化勲章受章。没後の12年、遺族が蔵書類約2000点を鉄道総合研究所に寄贈。同年同研究所内に島文庫が完成した。著書に「東京駅誕生―お雇い外国人バルシァーの論文発見」(編)。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「島秀雄」の解説

島秀雄 しま-ひでお

1901-1998 大正-平成時代の鉄道技術者。
明治34年5月20日生まれ。大正14年鉄道省にはいり,D51などの蒸気機関車の設計を手がける。昭和30年国鉄理事・技師長となり,東海道新幹線開発の責任者をつとめ,新幹線生みの親といわれる。44年宇宙開発事業団初代理事長。同年ジェームズ-ワット国際ゴールドメダル。平成6年文化勲章。平成10年3月18日死去。96歳。大阪出身。東京帝大卒。著作に「D51から新幹線まで―技術者のみた国鉄」。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「島秀雄」の意味・わかりやすい解説

島秀雄
しまひでお

[生]1901.5.20. 大阪
[没]1998.3.18. 東京,渋谷
機械工学者。東京大学機械工学科卒業 (1925) 。鉄道省に入り,蒸気機関車の設計にあたる。 49年国鉄を退任し,51年住友金属工業入社。 55年国鉄に復職し,国鉄技師長 (55~63) として東海道新幹線を立案,建設。 64年国鉄を退任。 69年宇宙開発事業団の初代理事長に就任。 77年の退任後も同事業団や科学技術庁の顧問をつとめた。 1969年文化功労者に選ばれ,94年文化勲章受章。

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367日誕生日大事典 「島秀雄」の解説

島 秀雄 (しま ひでお)

生年月日:1901年5月20日
大正時代-平成時代の鉄道技術者。宇宙開発事業団理事長;国鉄技師長
1998年没

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