大正・昭和期の日本画家
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
日本画家。明治18年6月6日和歌山市に生まれる。本名昇太郎。11歳のとき上京。1904年(明治37)中学校を中退し、葵橋(あおいばし)洋画研究所、太平洋画会研究所で洋画を学んだ。国民新聞社などに勤め、挿絵を描いて名を知られるようになったが、13年(大正2)にアメリカを旅行し帰国すると日本画に転じた。初め无声(むせい)会に加わったが、15年、平福百穂(ひらふくひゃくすい)らと珊瑚(さんご)会を結成した。またこの年、再興日本美術院展に『狐の径』が入選、翌年には『霊泉由来』が樗牛(ちょぎゅう)賞を受賞するなど、院展で頭角を現し、17年には同人に推された。しかしやがて大胆な表現が異端視されるようになり、28年(昭和3)に美術院を脱退、翌年、主宰する御形塾を母胎として青龍社を創立し、会場芸術を唱えて豪放で動感に富む作風を打ち出した。35年帝国美術院会員に任命されたが翌年辞退、37年には帝国芸術院会員にあげられたがこれも辞退した。59年に文化勲章を受章。62年、青龍社創立35周年を記念して自邸に龍子記念館(社団法人青龍社龍子記念館・東京都大田区中央4丁目2-1)を建設し、自作を公開した。『鳴門(なると)』『真珠』『新樹の曲』『潮騒(しおざい)』などが代表作。また俳句に親しみ、句集がある。昭和41年4月10日没。なお、青龍社は龍子の死とともに解散した。
[原田 実]
『村瀬雅夫解説『現代日本の美術13 川端龍子』(1976・集英社)』▽『河北倫明編『現代の水墨画6 川合玉堂・川端龍子』(1983・講談社)』
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