翻訳|grace
恩恵ともいう。ギリシア語ではcharis,ラテン語ではgratia。キリスト教神学の用語としては,イエス・キリストにおいて啓示されたすべての人間に対する神の愛と慈悲を意味する。旧約時代の全体が〈律法〉という言葉に集約されるのに対して,新約時代の全体を要約する言葉は〈恩寵〉である。創造にはじまり,終末におけるキリストの再臨をもって成就される救いの歴史は,神の恩寵の受肉的展開にほかならない。キリスト教は,罪人であり,生命の源である神から断ち切られて死の状態にある人間がその罪をゆるされ,義とされて再び神との交わりに入ることができるのは,人間の側のどのような善行によるのでもなく,絶対に無償で無条件的な神の恩寵による,と教える。恩寵は人間の罪をゆるし,彼を神意にかなう者たらしめる〈賜物〉であるが,そこで人間に贈与されるのは〈恵み〉〈賜物〉という言葉でふつうに連想される特定の望ましいものではなく,まさしく神自身なのであって,恩寵によって人間は神的生命そのもの,神的本性に参与する者たらしめられるのであり,そこに人間の究極的な幸福が見いだされる。罪のゆるしと救いが恩寵によることはキリスト教の基本的な信条であるが,恩寵における神と人間との関係は神学の歴史において多くの論争を呼びおこした。キリスト教の最初の数世紀間に,人間は恩寵なしにも善を意志し,実行しうるのか,またみずからの自由意志によって恩寵への準備をととのえることができるかが問題となった。ペラギウスは原罪を否定し,人間は自力で神法を遵守しうるほどの完全な自律的自由を有すると主張して恩寵の必要性を軽視した。また半ペラギウス主義は,人間は自由意志によってみずからを恩寵を受けるにふさわしい状態に置きうると説く。このような立場はアウグスティヌスを先導とするキリスト教神学の展開のなかで退けられたが,16世紀以降,恩寵と人間的自由の関係をめぐって激しい論争が起こり,バニェスD.Báñez派が救いへと導く人間の自由な行為は恩寵によって有効に発動させられると説いたのに対して,モリナ派は人間的自由をより積極的に弁護する必要があるとして,神の摂理・預定と人間的自由の両立可能性を説明するための〈中間知〉の理論を提示した。神の絶対的な恩寵や摂理が人間の自由を破壊せず,かえって後者を真の自由たらしめるという真理は人間理性によっては測りがたい神秘であり,これを説明しつくそうとする試みは神に対する真実の信仰とは相いれないといえる。
→救い
執筆者:稲垣 良典
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
神が人間に与える恵み、神の無償の賜物(たまもの)のこと。聖寵ともいい、現在では恩恵といわれる。それは神の与えた対象物をさすだけではなく、与え主である神の慈しみを輝かせるものである。それとともにこの賜物を受ける人間を神の慈しみで包み込むことを意味している。『新約聖書』によれば、神の最大の恩寵は、父なる神が「自分の独子(ひとりご)を与えたるほど、この世を愛した」(「ヨハネ伝福音(ふくいん)書」3章16節)ことにある。キリスト信者はここに他のすべての賜物が含まれていると信じている。この確信は、「わたしたちすべてのために、自分の子をさえ惜しまずに死に渡された神が、どうして、御子(みこ)に添えてすべてのものをわたしたちにくださらないことがあろうか」(「ロマ書」8章32節)ということばのうちに表明されている。この恩寵はすべて神から無償で与えられたものであって、人間の功徳(くどく)によって得たものでない。神の「恩寵と真理とはイエス・キリストを通してきた」(「ヨハネ伝福音(ふくいん)書」1章17節)のであり、人間は彼を通してのみ父なる神から恵みを受けることができる。
この事態を神学的に言い直せば、イエス・キリストの十字架と復活の救いのわざを信ずる者は「神の子」になり、神はその者に神的本質そのものを譲与する。この神の自己譲与が恩寵の第一次的本質である。しかし、この自己譲渡は、この世においてすでに信者に与えられているけれども、それは十全には外に現れていず、また、これを保つために付随的な多くの神の恩寵が必要である。これらの恵みによって、信者は神の自己譲与を忠実に守り、死後神を直観し、至福に入ることができる。
[門脇佳吉]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…美的範疇の一つ。崇高や醜と対立して,ものごとの上品な優雅さを語ろうとするものだが,悲壮や滑稽や狭義の美にくらべると両極的原理相互の緊張が弱くて穏やかな調和融合をあらわすにとどまり,明確な輪郭を定めがたい概念である。その形式的特徴を挙げれば,一つは一種の魅惑にあり,これは素朴な単純さや愛らしい弱小性に由来する。もう一つは両極的原理たる自然と精神との調和という道徳的意義の発現にある。J.C.F.シラーは人間の身体運動も道徳性をはらむ精神の表現であることに着目し,感性と理性,性向と義務との全き調和を〈美しき魂schöne Seele〉と呼び,これの発現こそ優美にほかならぬとして以後の優美論の方向を定めた。…
…万物は神を離れては虚無であるが,全宇宙のなかで人間だけがそのことを自覚する能力をもち,この能力が人間を超越者たる神との合一にいたるまでやむことのない探求へとかりたてる。しかしこの合一は根本的に神の恩寵によるものであり,人間の本性そのものである〈超越への能力〉は〈恩寵受容性〉にほかならない。この意味での〈超越〉を証言し,弁証するところに現代思想としてのカトリシズムの意義がある。…
※「恩寵」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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