1941年1月8日,東条英機陸相が全陸軍に通達した督戦のための訓諭。日中戦争の長期化により,中国占領の日本将兵の士気は戦争終結の見込みのないまま低下し軍紀の乱れが顕著になった。このため戦陣の環境に応じて〈皇軍道義の高揚〉をはかることを目的に,各種の徳目を訓諭したもの。序と3部の本訓と結びより成る。本訓はその一で,日本における〈皇軍〉の成立ち,〈皇軍〉としての団結,協同,攻撃精神,必勝の信念を説き,その二で,軍人として守るべきモラル,敬神,孝道,敬礼挙措,戦友道,率先躬行(きゆうこう),責任,死生観,名を惜しむ,質実剛健,清廉潔白を説き,その三で,戦陣の戒め,戦陣の嗜みを強調した。〈葉隠武士道〉の精神に近い内容で,軍人勅諭の〈戦場版〉ともいわれたが,弛緩している軍紀を証明するもので不必要だとの批判もあった。文章の仕上げには島崎藤村も委嘱をうけたという。〈生きて虜囚の辱めを受けず,死して罪禍の汚名を残すこと勿れ〉の一条が絶対化され,捕虜となることが厳しく否定されるとともに,戦争末期には日本軍の各地での玉砕をもたらすことになった。戦陣訓の目的とした軍紀の維持については,太平洋戦争開始後の兵力の根こそぎ動員による兵員の素質の低下,戦争目的をはたせないままの長期の戦闘,戦況の悪化,補給物資の欠乏などで,将兵の士気と軍紀の低下をもたらすことになった。
執筆者:粟屋 憲太郎
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戦場で軍人の守るべき道徳,行動の準拠を示したもの。1941年(昭和16)1月8日陸軍大臣東条英機により部内に示達された。日中戦争の長期化のなかで現れてきた軍紀の退廃,占領地住民に対する非行への対策として制定された。教育総監部での起草(浦辺彰少佐)にあたっては,島崎藤村や土井晩翠らも参加。「生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかし)めを受けず,死して罪禍の汚名を残すこと勿れ」の1条が太平洋戦争末期の数多くの悲劇的な玉砕をうむ一因となった。
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…また1944年からは都市で建物疎開と学童疎開が行われ,44年11月から本格化したアメリカ軍の超重爆撃機B29による本土空襲により,沖縄県を除く全国113の市町で約964万名が被災し,50万名以上が死亡した。
[文化と教育に対する統制]
満州事変後文化や教育に対する統制が強められていたが,1941年1月8日東条英機陸相によって全陸軍に布達された〈戦陣訓〉は,〈生きて虜囚の辱を受けず〉として軍人に死を強要した。この考え方が,あらゆる場所で国家権力による強制をともなって広められ,実践に移された結果,兵士の生命を軽視した無謀な戦術や自決の強要などによって,戦争の犠牲者を増大させる大きな原因となった。…
※「戦陣訓」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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