末吉(読み)スエヨシ

デジタル大辞泉 「末吉」の意味・読み・例文・類語

すえよし〔すゑよし〕【末吉】

姓氏の一。
[補説]「末吉」姓の人物
末吉孫左衛門すえよしまござえもん

すえ‐きち〔すゑ‐〕【末吉】

おみくじで、あとになって開ける運のこと。

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精選版 日本国語大辞典 「末吉」の意味・読み・例文・類語

すえ‐きち すゑ‥【末吉】

〘名〙 おみくじで、後になって開ける運のことをいう。すえきつ。

すえよし すゑよし【末吉】

姓氏の一つ

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日本歴史地名大系 「末吉」の解説

末吉
すえよし

中世、大隅国にあった地名。史料上は院・郷・村などを付してみえることはなく、単に末吉であり、日向国境に位置する政治・軍事上の要衝の地であったため末吉城が頻出する。近世外城の一つ末吉郷前身にあたり、近世には末吉郷と別に、同郷内の二之方にのかた村のうち稲井原いないはら村内に「末吉村」があり、遺称地といえる。現末吉町域に比定される。

観応二年(一三五一)四月二二日の畠山直顕書下(種子島家譜)に「城末吉・大曲」とみえ、足利尊氏方の軍勢が当地など一〇余ヵ所に立籠っていたが、足利直義方に敗れている。応安六年(一三七三)一月から二月にかけて相良氏・伊東氏の軍勢が都城方面に侵攻したのに対して、島津氏久は北郷氏を救援するために末吉に進軍している(「伊集院久氏譜」旧記雑録)。永徳元年(一三八一)七月二日に今川満範が大隅国に入り、同四日には「末よしの古城」を押えて守りを固めた(七月二一日「今川満範書状」禰寝文書)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「末吉」の意味・わかりやすい解説

末吉
すえよし

鹿児島県東部、曽於郡(そおぐん)にあった旧町名(末吉町(ちょう))。現在は曽於市の東部を占める。旧末吉町は1922年(大正11)町制施行。町名は古名「須美乃叡(すみのえ)」の転化という。2005年(平成17)大隅(おおすみ)町、財部(たからべ)町と合併、市制施行して曽於市となった。大淀(おおよど)川上流域の農村で、中心部低地は都城盆地(みやこのじょうぼんち)の一部。この中心部を国道269号が南北に走り、北部を国道10号が、東部を国道222号が通る。畜産王国鹿児島県の中核産地で肉牛、ブタを中心とし、食肉処理を行う南九州畜産興業は当地域の重要な企業である。

[田島康弘]

『高木秀吉編『末吉郷土史』(1957・末吉町)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「末吉」の意味・わかりやすい解説

末吉
すえよし

鹿児島県東部,曽於市南西部の旧町域。大淀川上流域にあり,北部で宮崎県都城市に接する。 1922年町制。 2005年大隅町,財部町の2町と合体して曽於市となった。東部は中生層の低山帯,中部と西部はシラス台地や丘陵地が広がり,大淀川がその間に谷を刻んで流れる。中心地区の諏訪方は薩摩藩直轄地集落として発展。農牧業が中心で,県内の畜産中心地の一つ。デンプン,食肉工場などが立地する。都城市との結びつきが強い。

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改訂新版 世界大百科事典 「末吉」の意味・わかりやすい解説

末吉 (すえよし)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「末吉」の解説

末吉 すえよし

?-? 室町時代の刀工。
山城(京都府)の来(らい)派。明徳-応永(1390-1428)のころの人という(「古今鍛冶備考」)。

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