田河水泡(読み)タガワスイホウ

デジタル大辞泉 「田河水泡」の意味・読み・例文・類語

たがわ‐すいほう〔たがはスイハウ〕【田河水泡】

[1899~1989]漫画家東京の生まれ。本名、高見沢仲太郎。前衛美術グループ「MAVO」の一員として活動したのち、犬の軍隊生活を描いた「のらくろシリーズを執筆、絶大な人気を集めた。他に「窓野雪夫さん」「たこの八ちゃん」など。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

共同通信ニュース用語解説 「田河水泡」の解説

田河水泡

田河水泡たがわ・すいほう(1899~1989年) 漫画まんが家。31年に雑誌ざっし少年〓(人ベンに貝の目が組のツクリ)楽部くらぶ」で連載れんさいを始めた「のらくろ」が人気に。手塚治虫てづか・おさむをはじめ戦後活躍かつやくする漫画家に大きな影響えいきょうあたえ、弟子でしに「サザエさん」の長谷川町子はせがわ・まちこらがいる。

更新日:

出典 共同通信社 共同通信ニュース用語解説共同通信ニュース用語解説について 情報

精選版 日本国語大辞典 「田河水泡」の意味・読み・例文・類語

たがわ‐すいほう【田河水泡】

  1. 画家・漫画家。東京の生まれ。日本美術学校図案科卒。画家を志すが、雑誌「少年倶楽部」に連載した漫画「のらくろ」が人気を博す。他の作品に「蛸(たこ)の八ちゃん」「ダルマノコロ吉」など。明治三二~平成元年(一八九九‐一九八九

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

20世紀日本人名事典 「田河水泡」の解説

田河 水泡
タガワ スイホウ

昭和期の漫画家



生年
明治32(1899)年2月10日

没年
平成1(1989)年12月12日

出生地
東京市本所区林町(現・東京都墨田区立川)

本名
高見沢 仲太郎

別名
別名(版画)=高見沢 路直

学歴〔年〕
日本美術学校図案科〔大正14年〕卒

主な受賞名〔年〕
紫綬褒章〔昭和44年〕,児童文化功労者賞(第11回)〔昭和44年〕,勲四等旭日小綬章〔昭和62年〕,日本漫画家協会賞(選考委員特別賞 第29回)〔平成12年〕

経歴
抽象画家として出発し反二科運動に参加、版画家、落語作家を経て、漫画家に転じ「少年倶楽部」を舞台に活躍した。代表作「のらくろ」は、昭和6年「少年倶楽部」に「のらくろ二等卒」を発表して以来、子どもたちの圧倒的な人気を集め、16年、軍の圧力によって筆を折るまで続いた。戦後も33年から雑誌「丸」で連載を復活、「続のらくろ漫画全集」を出した。その後は銅版画制作や滑稽画の研究を続け、「滑稽の構造」「滑稽の研究」を著す。門下滝田ゆう長谷川町子などを輩出。63年銅版画の個展を開く。代表作は「のらくろ」の他に「蛸の八ちゃん」「目玉のチビちゃん」「スタコラサッちゃん」「ダルマノコロ吉」など。平成元年「のらくろ」の著作権を山根兄弟と永田竹丸に譲る。3年「のらくろ―代記―田河水泡自叙伝」が出版された。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「田河水泡」の意味・わかりやすい解説

田河水泡 (たがわすいほう)
生没年:1899-1989(明治32-平成1)

漫画家。本名高見沢仲太郎。東京に生まれ,日本美術学校を卒業,前衛画家を志すが挫折し,一時は生活のために落語の台本を書いていた。1931年から講談社の《少年俱楽部》に《のらくろ》を連載。擬人化した犬を主人公として,犬の軍隊での出世物語を描いたもので,軍国の世相を反映しながらも風刺の笑いがこめられ人気を博し,単行本も大ベストセラーとなった。また《蛸(たこ)の八ちゃん》(1931,《婦人子供報知》),《凸凹黒兵衛》(1933,《婦人俱楽部》)も人気を得た。第2次大戦下には一時休載を余儀なくされた《のらくろ》も戦後続編を執筆,72年に全15巻が完結した。弟子に長谷川町子,滝田ゆうがいる。手塚治虫も少年時代,《のらくろ》に大きな影響を受けた。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「田河水泡」の意味・わかりやすい解説

田河水泡
たがわすいほう
(1899―1989)

画家、漫画家。本名は高見沢仲太郎。筆名は、本姓をもじって田河水泡(たかみさわ)と書き、のちに田河水泡(たがわすいほう)と読むことにした。東京の本所に生まれ、私立日本美術学校を卒業。前衛美術運動MAVOに参加したが、生計のため『少年倶楽部(くらぶ)』に子供向きの物語漫画『のらくろ』を連載、これが人気を得て漫画家となった。のら犬の黒吉が軍隊に入り、失敗を重ねながらも進級していくという筋の『のらくろ』(全10冊)は、日本における物語漫画の確立作とされている。そのほか『蛸(たこ)の八ちゃん』『凸凹(でこぼこ)黒兵衛』などの作品もある。

[上笙一郎]

『『のらくろ漫画全集』全10巻(1969・講談社)』『『続のらくろ漫画全集』全五巻(1979~81・講談社)』『田河水泡著『のらくろ自叙伝』(1976・光人社)』『高見沢潤子著『のらくろひとりぼっち』(1983・光人社)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

百科事典マイペディア 「田河水泡」の意味・わかりやすい解説

田河水泡【たがわすいほう】

漫画家。本名高見沢仲太郎。東京生れ。日本美術学校卒。雑誌《少年倶楽部》に1931年から1941年まで擬人化した犬を主人公として連載した《のらくろ》シリーズが有名。ユーモアとペーソスゆたかに描かれた犬たちの軍隊生活は子ども漫画界を風靡(ふうび)した。ほかに《凸凹黒兵衛》(1933年)など。弟子に長谷川町子,滝田ゆうがいる。
→関連項目杉浦茂漫画

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「田河水泡」の意味・わかりやすい解説

田河水泡
たがわすいほう

[生]1899.2.10. 東京
[没]1989.12.12. 神奈川
漫画家。本名,高見沢仲太郎。 1925年日本美術学校図案科卒業。版画を制作し前衛美術運動にも参加したのち子供漫画へ進み,『少年倶楽部』連載の『のらくろ』 (1931~41) で名を揚げた。軍国主義化の時勢を反映したこの空前の人気漫画は,軍隊に入隊した孤児の黒いのら犬を主人公としたもの。ほかに『蛸の八ちゃん』『凸凹黒兵衛』『豆象さん』などを,講談社の雑誌に連載。第2次世界大戦後の作品には『珍品のらくろ草』『チンパンジー HB』などがあるが,どの作品にも作者の落語への傾倒ぶりを示す人物のおどけた会話があり注目される。著書に『のらくろ自叙伝』 (76) ,『滑稽の構造』 (81) がある。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「田河水泡」の解説

田河水泡 たがわ-すいほう

1899-1989 昭和時代の漫画家。
明治32年2月10日生まれ。高見沢潤子の夫。はじめ前衛画家をこころざすが,昭和6年から雑誌「少年倶楽部(クラブ)」に漫画「のらくろ」を連載し,人気漫画家となる。門下生に長谷川町子,滝田ゆうらがいる。平成元年12月12日死去。90歳。東京出身。日本美術学校卒。本名は高見沢仲太郎。作品はほかに「蛸の八ちゃん」「凸凹黒兵衛」など。
【格言など】良い人生だった。ぼくのような幸せ者はいないよ(晩年のくちぐせ)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「田河水泡」の解説

田河 水泡 (たがわ すいほう)

生年月日:1899年2月10日
昭和時代の漫画家
1989年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の田河水泡の言及

【長谷川町子】より

…福岡県に生まれる。1934年田河水泡に師事し,翌年から《少女俱楽部》に漫画を寄稿,40年から3年半にわたって同誌に〈仲良し手帖〉を連載した。第2次大戦後の46年5月から《夕刊フクニチ》に代表作《サザエさん》を連載,49年12月から《朝日新聞》に移り,74年まで連載した。…

※「田河水泡」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android