朝日日本歴史人物事典 「真田信之」の解説
真田信之
生年:永禄9(1566)
安土桃山・江戸前期の武将。名は初め信幸,通称は源三郎,伊豆守。上野国沼田城主真田昌幸の子。天正10(1582)年に駿府の徳川家康の許へ人質として送られる。家康の武将本多忠勝の娘をめとり,文禄2(1593)年に沼田城主となり伊豆守に叙任。慶長5(1600)年の関ケ原の戦に際して,父昌幸と弟の幸村(信繁)は石田三成方に与したが,信之はかねてからの縁により徳川方に属し,中山道を西上した徳川秀忠に従軍して昌幸,幸村の籠城抵抗する信州上田城を攻撃した。しかし上田城を落とすことはできず,またこの上田攻めに時日を要したために徳川秀忠軍は関ケ原の戦にも遅れたのであった。戦後,信之は父弟の助命を請い,その年来の忠勤により許された。翌年,上田城に移り,沼田と合わせて9万5000石を領した。慶長19,元和1(1615)年の大坂の陣にはいずれも出陣し戦功があった。元和8年には松代に移封され,高井,水内,埴科,更級4郡で10万石,沼田領3万石の計13万石を領した。これより藩政の整備,新田開発,城下町建設に努め,松代藩の基礎を固めた。90歳を超える長寿をうけたが,寛永末ごろには往時を知る数少ない戦国武将のひとりとして,将軍徳川家光をはじめ世の人々の尊敬を集めていた。明暦2(1656)年に隠居して松代領を嗣子信政に,沼田領を嫡孫の信利に譲った。のち剃髪して一当斎と称した。墓は松代長国寺の真田家廟所。<参考文献>田中誠三郎『真田一族と家臣団』
(笠谷和比古)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報