中国、戦国時代最末期の代表的法家思想家。韓の諸公子の一人。吃音(きつおん)で弁説は不得意であったが、著述に優れた。李斯(りし)とともに荀子(じゅんし)に学んだという。秦(しん)からの攻撃に際して韓の使者として秦に赴いたが、李斯にねたまれ、獄中で自殺させられて生涯を終える。自国の窮乏を憂え、韓王を書面でいさめたが採用されず、現実の分析と対策についての優れた著述を残した。進歩的歴史観をとる彼は、昔は道徳が通用したが現在は気力の時代であるとして、儒家的徳治を時代錯誤であると批判する。君臣関係は相互信頼ではなく利害打算的なものであるとして、君主は自己の胸中の意図や好悪すら外に表さない無為虚静の態度を術として臣下を操縦し、また主観的、偶然的な智(ち)や信によらず、客観的、必然的な法や勢による職務(名)と業績(形)の一致を求める形名(けいめい)参同や信賞必罰といった実務本位の政治の実行を主張した。こうして彼は君主権強化、中央集権化の方策として、商鞅(しょうおう)の法、申不害(しんふがい)の術、慎到(しんとう)の勢の思想を継承し総合したとされる。また富国強兵には無益な商工の民や学者を抑圧し、平和時には耕作して富を生み戦時には外敵と戦う耕戦の民を重視すべきことを強調して、重農抑商政策を主張する。人間観は、荀子の影響によるものか性悪説的で、人の自主的向上や善意といった「適然(たまたま)の善」に期待せず、いかなる悪人も悪をなしえないよう厳罰主義の「必然の道」の実行を主張する。
[澤田多喜男 2015年12月14日]
著作は、彼の名に託せられた『韓非子』55篇(へん)が現存するが、彼の自著と確認されるものは少ない。『史記』では孤憤・五蠹(ごと)・内儲説(ちょぜい)・外儲説・説林(ぜいりん)・説難の諸篇を彼の著作とするが、確かではない。容肇祖(ようちょうそ)(1897―1994)・木村英一(1906―1981)の文献学的研究によれば、共通して自著と認めるのは、孤憤・姦劫弑臣(かんごうししん)・五蠹・顕学の4篇にすぎない。このほか木村は説難、和氏の2篇を、容は難篇ほか10余篇を自著と推定している。なお術の思想には道家の影響があるとされ、『韓非子』にも『老子』とかかわる解老・喩老(ゆろう)の2篇が収められている。
[澤田多喜男 2015年12月14日]
『容肇祖著『韓非子考證』(1934・上海商務印書館)』▽『木村英一著『法家思想の研究』(1944・弘文堂/1998・大空社)』▽『田中耕太郎著『法家の法実証主義』(1947・福村書店)』▽『小野澤精一著『法家思想』(『講座東洋思想 第4巻』所収・1967・東京大学出版会)』▽『板野長八著『中国古代における人間観の展開』(1972・岩波書店)』▽『小野澤精一訳注『全釈漢文大系20・21 韓非子』上下(1975、1978・集英社)』
?~前233
戦国時代末期の法家(ほうか)。韓の王族。李斯(りし)とともに荀子(じゅんし)に学ぶ。刑名法律の学を大成し,『韓非子』55編を著す。秦王(始皇帝)はその書をみて韓非を慕ったという。秦に使し,李斯にはかられて獄中で死んだ。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…中国,戦国末の思想家韓非(?‐前234?)の言説を集めた書。20巻55編。…
※「韓非」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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