李斯(読み)リシ

デジタル大辞泉 「李斯」の意味・読み・例文・類語

り‐し【李斯】

[?~前210]中国政治家の上蔡の人。荀子に学び、始皇帝に仕えて丞相となり、郡県制施行焚書坑儒ふんしょこうじゅ文字度量衡統一などを進言した。始皇帝の死後讒言ざんげんにより刑死

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精選版 日本国語大辞典 「李斯」の意味・読み・例文・類語

り‐し【李斯】

  1. 中国秦の政治家。韓非子とともに荀子の門下で、法家思想による中央集権政治を主張。始皇帝の丞相として、郡県制の実施、文字・度量衡の統一、外征の立案など、統一帝国の確立に貢献した。始皇帝の死後、二世皇帝を擁立したが、趙高讒言失脚。紀元前二一〇年処刑された。

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改訂新版 世界大百科事典 「李斯」の意味・わかりやすい解説

李斯 (りし)
Lǐ Sī
生没年:?-前210

中国,秦の政治家。楚の上蔡(河南省上蔡県)の人。荀子に師事して帝王治世の術を学び,法治主義者となる。のち秦に行き,呂不韋(りよふい)に推されて秦王政(のちの始皇帝)の臣となり,統一後も始皇帝,二世皇帝に仕え,廷尉,丞相の要職を歴任した。この間,郡県制の施行をはじめとする政治制度を確立し,また籀文(ちゆうぶん)の画を省いて統一字体の小篆しようてん)をつくるなど,統一帝国の体制を整えるうえで重要な役割を果たしたが,姦臣の趙高に欺かれて二世の怒りをかい,三族誅滅の極刑に処せられた。
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百科事典マイペディア 「李斯」の意味・わかりやすい解説

李斯【りし】

中国,の政治家。楚の人。熱心な法治主義者で,始皇帝をたすけて天下を統一。丞相となり郡県制の実施,焚書坑儒による思想統制などを建議。始皇帝の没後,宦官(かんがん)の讒言(ざんげん)によって処刑された。書では小篆(しょうてん)をつくった(篆書)。
→関連項目性悪説

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「李斯」の意味・わかりやすい解説

李斯
りし
(?―前208)

中国、秦(しん)の統一に功績のあった法家の政治家。戦国楚(そ)の上蔡(じょうさい)の人。荀子(じゅんし)について帝王の術を学んだが、楚や東方の諸国には天下を統一する望みがなかったので、西の秦に赴いた。丞相呂不韋(じょうしょうりょふい)の食客の身から、秦王政(せい)(後の始皇帝)に仕えることになった李斯は、東国離反の策を進言し、それが成功すると客卿(きゃっけい)(他国出身の大臣)にあげられた。当時、逐客令(ちっきゃくれい)(他国出身者の追放令)が出されたが、李斯が反対論を唱えると廃された。以後、李斯の策は重用され、秦王を助けて天下の統一を実現させたので、丞相の地位についた。郡県制、焚書坑儒(ふんしょこうじゅ)、文字・度量衡の統一などの政策は彼の進言による。始皇帝の死後、趙高(ちょうこう)が末子胡亥(こがい)を二世皇帝にたてる謀略に荷担したが、のちに2人の無道ぶりを非難して投獄され、腰斬(ようざん)の刑で死んだ。

[鶴間和幸]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「李斯」の意味・わかりやすい解説

李斯
りし
Li Si

[生]?
[没]胡亥2(前208)
中国,秦の政治家。上蔡 (河南省) の人。初め郡の小役人となり,のち発奮して荀子に学び,秦に仕え,始皇帝の「逐客の令」 (外来者追放策) を諫止し,丞相となり法治主義をとった。秦の郡県制の施行,文学,度量衡の統一,「焚書の令」 (一種の言論弾圧) などは彼の献策により,その内政外交は秦帝国確立の大きな基礎をつくった。始皇帝の死後2世皇帝を擁立して実権をふるったが,宦者趙高の讒言によって処刑された。

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旺文社世界史事典 三訂版 「李斯」の解説

李 斯
りし

?〜前208
法家の人で,秦の政治家
荀子 (じゆんし) に学び,始皇帝は彼の計略を用いて天下を統一した。封建制に反対し,郡県制を徹底させ,異説を唱えて今世をそしることを禁じ,焚書・坑儒 (ふんしよこうじゆ) を行った。また文字・度量衡の統一,宮殿の造営,匈奴 (きようど) や南越の征伐などを立案し,丞相として秦の統一政治に大きく貢献した。帝の死後,2世皇帝を擁立したが,のち宦官 (かんがん) 趙高の術策に陥って処刑された。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「李斯」の解説

李斯(りし)
Li Si

?~前210

の政治家。楚(そ)の人。荀子(じゅんし)に学ぶ。秦の客卿となり,始皇帝の統一後は丞相(じょうしょう)として統一政策の万般を画策,実施した。始皇帝の死後二世皇帝を擁立したが,讒言(ざんげん)にあって処刑された。

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世界大百科事典(旧版)内の李斯の言及

【秦】より

…第2は,秦が積極的に他国から移ってきた者をうけ入れ,彼らを利用して内治外交に利用したことである。百里奚,蹇叔,商鞅はすべて他国出身者であり,また統一直前に懸案となる外国人追放令(逐客令)に反対した李斯(りし)の意見書には,秦が他国出身者の功績でいかに発展してきたかが詳しく述べられている。 第3は,秦が春秋時代から戦国時代にかけての社会変動のなかで,いちはやく旧体制から脱皮して新しい国家体制を築きあげたことである。…

【蒼頡】より

…蒼頡が文字を発明したという伝説は,戦国後期の《荀子》にあらわれ,漢代になると黄帝の史官であったという伝説があらわれる。秦始皇帝の宰相であった李斯が,蒼頡の名をとった《蒼頡篇》という初学者向きの字書を作ったが,今は伝わらない。【伊藤 道治】。…

【泰山刻石】より

…泰山の山頂で天を祭る封禅(ほうぜん)の儀式を挙行した際に立てたところから,〈封泰山碑〉ともいう。秦の徳をたたえた頌辞を篆書(てんしよ)で刻したもので,丞相の李斯(りし)の書と伝えられ,小篆の典型とされる。《史記》秦始皇本紀にのせる全文は,4字36句の計144字からなり,3句ごとに押韻する。…

【焚書坑儒】より

…書籍を焼き,学者を坑(あなうめ)して殺すこと。前221年に天下を統一した始皇帝は,法家の李斯(りし)を抜擢し,従来の封建制を廃止して郡県制を施行するなど,徹底した法家思想にもとづく各種の統一政策を実施した。しかしこの法家一色の政治に対しては,他の儒家をはじめとする各学派は反対であり,おのおの公然と自説を主張した。…

※「李斯」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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