「アンカラの戦い」の検索結果

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大村幸弘 (おおむら-さちひろ)

デジタル版 日本人名大辞典+Plus
1946- 昭和後期-平成時代の考古学者。昭和21年9月7日生まれ。早大卒業後トルコのアンカラ大大学院にまなび,アナトリア地方で発掘調査をおこなう。…

デミレル Demirel, Süleyman

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
[生]1924.11.1. ウスパルタ[没]2015.6.17. アンカラトルコの政治家,治水技術者。大統領(在任 1993~2000)。1948年イスタンブール工科大学卒業後,…

ギュルセル ぎゅるせる Cemal Gürsel (1894―1966)

日本大百科全書(ニッポニカ)
トルコの軍人、政治家。トルコ東部のエルズルムに生まれる。1912年陸軍士官学校卒業。1915年砲兵中尉に任官。第一次世界大戦ではパレスチナ戦線で活…

T. オザル Turgut Ozal

20世紀西洋人名事典
1926 - 1993.4.17 トルコの政治家。 トルコ大統領。 マラトヤ生まれ。 国家計画庁長官を経て、アンカラ大学数学教授を務める。1979年総理府官房長…

レウクトラの戦い レウクトラのたたかい Battle of Leuktra

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
前 371年南ボイオチアのレウクトラの平野でテーベ軍とスパルタ軍との間で行われた戦い。テーベ軍は名指揮官エパメイノンダスのもと,革新的な戦略に…

トルコ語 トルコご Turkish language

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
オスマンリ語ともいう。トルコ共和国の公用語で,その話し手は約 4000万人。さらに,キプロス,旧ソ連その他にも 270万人ぐらいいるとみられ,チュル…

キュタヒヤ Kütahya

改訂新版 世界大百科事典
トルコ西部,ブルサの南東約120kmにある都市で,同名県の県都。人口17万5905(2003)。この地方の農業,商業の中心地。古くはコテュアエウムCotyaeum…

ガウガメラの戦い がうがめらのたたかい

日本大百科全書(ニッポニカ)
紀元前331年に行われたペルシアのダリウス3世とアレクサンドロス大王との間の戦い。ガウガメラGaugamelaはギリシア地誌家によれば「らくだの家」の意…

レウクトラの戦い れうくとらのたたかい

日本大百科全書(ニッポニカ)
紀元前371年のスパルタとテーベとの戦い。エパミノンダスはテーベに民主政を敷いてボイオティアを支配した。スパルタはテーベがボイオティアを代表す…

アンタナナリボ〔州〕 アンタナナリボ Antananarivo

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
マダガスカル中央部の州。アンカラトラ山地を含む内陸の中央高地に位置。州都は首都でもあるアンタナナリボ。首都名,州名ともにフランス統治時代に…

しずがたけ‐の‐たたかい〔しづがたけ‐たたかひ〕【賤ヶ岳の戦い】

デジタル大辞泉
天正11年(1583)賤ヶ岳で羽柴(豊臣)秀吉が柴田勝家を破った戦い。秀吉の全国制覇の基礎が築かれた。

ガウガメラの戦い ガウガメラのたたかい Battle of Gaugamēla

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
アルベラの戦いとも呼ばれる。前 331年 10月1日に,マケドニアのアレクサンドロス3世 (大王)の率いるヘラス連盟軍とアケメネス朝ペルシアの王ダレイ…

エルビルじょうさい【エルビル城塞】

世界遺産詳解
2014年に登録された世界遺産(文化遺産)。エルビル城塞はイラクの北部、クルディスタン地域のクルド自治区が首都とする、イランとトルコ国境に位置…

オスマン帝国 オスマンていこく Osmanlı İmparatorluğu; Ottoman Empire

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
トルコ族の一首長オスマン1世を始祖とするオスマン朝から発展して成立したイスラム帝国 (1299~1922) 。オットマン帝国ともいわれる。 13世紀末小ア…

イスタンブール

共同通信ニュース用語解説
トルコ西部にある最大都市。人口約1400万人。欧州とアジアにまたがり、ローマ帝国、ビザンチン帝国、オスマン帝国の首都として繁栄した。1923年のト…

レウクトラの戦い(レウクトラのたたかい) Leuktra

山川 世界史小辞典 改訂新版
前371年,中部ギリシア,テーベに近いレウクトラにおいてスパルタとテーベとが行った一戦。テーベはエパメイノンダスの考案にかかる斜線陣を用いてス…

セーブル条約 せーぶるじょうやく

日本大百科全書(ニッポニカ)
第一次世界大戦後の1920年8月10日、パリ郊外のセーブルSèvresで結ばれた連合国とトルコとの講和条約。この条約でトルコは、イラク、パレスチナ、シリ…

バーチャスパティミシュラ Vācaspatimiśra

改訂新版 世界大百科事典
9世紀ころのインドの哲学者。ミィティラーに生まれたと推測されているが,生没年および詳しい経歴は定かでない。主要な学派の文献に広く注釈を書いた…

コンヤ Konya

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
コニヤともいう。古代名イコニウム。トルコ中央南部の都市で,同名県の県都。中央アナトリア高原の南西端,標高 1027mに位置する。狭いが肥沃な平原…

ビルケント大学[トルコ] ビルケントだいがく

大学事典
首都アンカラにあるトルコで最も古い,国を代表する私立大学の一つ。創立者のイフサン・ドーラマジュ,I.教授は医学者でアンカラ大学長などを歴任し…

ガウガメラの戦 (ガウガメラのたたかい)

改訂新版 世界大百科事典
前331年秋,北メソポタミアに進攻したアレクサンドロス大王が,ティグリス川左岸ガウガメラGaugamēla(テル・ゴメル)付近の平原でダレイオス3世のペ…

エジェビット Ecevit, Bülent

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
[生]1925.5.28. コンスタンチノープル[没]2006.11.5. アンカラトルコの詩人,ジャーナリスト,政治家。徹底した政教分離主義者で,政治へのイスラム…

イエニチェリ yeniçeri

改訂新版 世界大百科事典
オスマン帝国における常備歩兵とその軍団。トルコ語で〈新しい兵士〉を意味する。軍団の創設に関して定説はないが,14世紀後半,とくにアドリアノー…

ビレジク Bilecik

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
トルコ北西部の都市。同名県の県都。 1298年,オスマン朝の始祖オスマン1世がビザンチン帝国から最初に占領した町として名高い。 20世紀初頭まで,絹…

アクチュラオウル Akçuraoǧlu, Yūsuf

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
[生]1876. セミル[没]1939トルコの政治家,哲学者。ロシア生れ。子供のときにイスタンブールに移住。陸軍士官学校在学中,「青年トルコ」運動に参加…

ティリー Johann Tserclaes von Tilly

山川 世界史小辞典 改訂新版
1559~1632三十年戦争におけるカトリック諸侯連盟(リガ)軍の将軍。スペイン軍に入ってオランダで戦ったことから頭角を現し,1610年連盟軍の将軍とな…

アクティウムの海戦(アクティウムのかいせん) Actium

山川 世界史小辞典 改訂新版
前31年9月の古代ローマの戦い。オクタウィアヌス(のちの皇帝アウグストゥス)が,アントニウス,クレオパトラの連合軍を撃破して覇権を握った海戦。ア…

アゲシラオス あげしらおす Agesilaos (前444/443―前360)

日本大百科全書(ニッポニカ)
スパルタ王(在位前399~前360)。ペルシアから小アジア諸市を解放するために各地に転戦し、コリント戦争勃発(ぼっぱつ)後、紀元前394年に帰国して、…

コンゴ王国 コンゴおうこく Kongo

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
中央アフリカ西部,コンゴ川の南方に存在した王国。1390年頃にルケニ・ルア・ニミが樹立したとされる。首都はムバンザコンゴ。1483年にポルトガル人…

しずがたけ【賤ケ岳】 の 戦((たたか))い

精選版 日本国語大辞典
天正一一年(一五八三)賤ケ岳で行なわれた羽柴秀吉と柴田勝家との戦い。本能寺の変後、織田信長の二男信雄を奉ずる秀吉と、三男信孝を擁する勝家の…

ラマナ・マハルシ Ramaṇa Maharṣi 生没年:1879-1950

改訂新版 世界大百科事典
近代インドの神秘主義者。南インド,マドゥライ近郊の中流のバラモンの家庭で,弁護士の次男として生まれたごく平凡な子どもであったが,17歳のとき…

フリギア ふりぎあ Phrygia

日本大百科全書(ニッポニカ)
アナトリア(小アジア)の中央高地西部にあった古代国家。インド・ヨーロッパ語族に属するフリギア人が、紀元前1000年ごろトラキア地方から西アナト…

ツートーン‐カラー

デジタル大辞泉
《〈和〉two-tone+color》異なる系統の2色、または同系統の濃淡2色を並べた配色。ツートンカラー。「ツートーンカラーの車体」[補説]英語ではtwo-to…

クウェート(都市)【クウェート】

百科事典マイペディア
ペルシア湾岸の砂漠国,クウェートの首都。人口3万1574人(2005)。ペルシア湾から湾入したクウェート湾の南岸に位置し,石油の輸出による好景気に…

ステーンケルケの戦い ステーンケルケのたたかい Battle of Steenkerke(Steinkirk)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
スティーンカークの戦いとも呼ばれる。 1692年8月3日,ファルツ戦争中の戦い。ナミュールを奪い,ブラッセル進出をはかるフランス軍に対し,ウィリア…

カルロ・アルベルト Carlo Alberto

山川 世界史小辞典 改訂新版
1798~1849(在位1831~49)ウィーン会議以来サルデーニャ王国の王位継承者とみなされ,1821年ピエモンテ革命の際に憲法発布を約束したが,王位を叔父…

ツートンカラー

プログレッシブ和英中辞典(第4版)
ツートンカラーの車a two-tone [two-toned] car(▼ツートンカラーは和製語)

占守島の戦い

共同通信ニュース用語解説
日ソ中立条約を破棄し1945年8月に対日参戦したソ連軍は同18日未明、千島列島北東端の占守島に上陸、ポツダム宣言を受諾し、武装解除中だった日本軍…

vi・no・so, sa, [bi.nó.so, -.sa;ƀi.-]

小学館 西和中辞典 第2版
[形] ワインのような;ワインカラーの.de color vinoso|ワインカラーの.

トルコの政治体制変更

共同通信ニュース用語解説
昨年4月の国民投票で憲法改正が僅差で承認され、建国以来の議院内閣制から実権型大統領制への移行が決まった。首相職が廃止され、行政の長になる大…

ムジャーヒディーン運動【ムジャーヒディーンうんどう】

百科事典マイペディア
ムジャーヒディーンMujahidinはアラビア語で〈ジハード(聖戦)を行う者〉の意。固有名としては,19世紀初め,現在のパキスタン北西部で,シク王国,…

ラデツキー Radetzky, Johann Joseph, Graf von Radetz

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
[生]1766.11.2. ボヘミア[没]1858.1.5. ミラノオーストリアの軍人,元帥。 1784年オーストリア軍に入隊。 87~91年トルコ戦争,のちライン戦争に参加…

エパメイノンダス Epameinōndas

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
[生]前410頃.テーベ[没]前362. マンチネイア古代ギリシア,テーベの将軍。エパミノンダスとも呼ばれる。前 370年代のテーベの台頭に貢献し,前 371年…

キロ Cilo, Lucius Fabius

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
2~3世紀頃のローマの政治家。スペイン人。セプチミウス・セウェルス,カラカラの諸皇帝に仕え,ガリア・ナルボネンシス,ポントス,モエシアなどの…

トルコ‐かくめい【トルコ革命】

精選版 日本国語大辞典
オスマン‐トルコ帝国を打倒し、トルコ共和国を樹立した革命。第一次世界大戦に敗北して売国的な条約を結んだオスマン政府に対して、ケマル=アタチュ…

サカルヤの戦い サカルヤのたたかい Sakarya

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
1921年,トルコ軍とギリシア軍のサカルヤ河畔における戦闘。新ビザンチン帝国建設を理想とするギリシア国王は,19年5月のイズミル占領に成功したのち…

トルコの憲法改正案

共同通信ニュース用語解説
改憲案はエルドアン大統領が共同創設した与党、公正発展党(AKP)が昨年12月に国会に提出し、極右野党の協力で今年1月に可決された。国民投票で過半数…

中央条約機構(CENTO)(ちゅうおうじょうやくきこう) Central Treaty Organization

山川 世界史小辞典 改訂新版
もとの中東条約機構(別名バグダード条約機構)。1955年トルコ,イラク,イギリス,パキスタン,イラン(アメリカはオブザーバーとして参加)の5カ国が,…

トルコの大統領制

共同通信ニュース用語解説
昨年4月の国民投票で憲法改正が僅差で承認され、議院内閣制から実権型大統領制への移行が決まった。首相職は廃止され、行政の長となる大統領が新設…

プカラ‐デ‐ティルカラ(Pucará de Tilcara)

デジタル大辞泉
アルゼンチン北部、フフイ州にある先インカ期の遺跡。ウマワカ渓谷南部の町ティルカラの南西に位置する。12世紀頃に要塞として築かれ、山の頂上から…

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