「アッバース朝の滅亡」の検索結果

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イブン・ハンバル いぶんはんばる Amad Ibn anbal (780―855)

日本大百科全書(ニッポニカ)
イスラム教スンニー派の四大法学派の一つ、ハンバリー学派の創始者。バグダードでイスラム諸学を学ぶ。彼の法学は、コーランおよび預言者ムハンマド…

ワーキディー al-Wāqidī, Abū `Abd Allāh Muḥammad ibn `Umar

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
[生]747. メジナ[没]823.4.28. バグダードアラブの歴史家。アッバース朝カリフ,ハールーン・アッラシードやマームーンに仕えた。多数の著書中ムハン…

シャンルウルファ‐じょう〔‐ジヤウ〕【シャンルウルファ城】

デジタル大辞泉
《Şanlıurfa Kalesi》トルコ南東部の都市シャンルウルファにある城跡。市街を見下ろす丘の上に位置する。ヒッタイト帝国時代に築かれた城に起源し、…

シャー・アッバース しゃーあっばーす

日本大百科全書(ニッポニカ)
→アッバース(1世)

ミニアチュール miniature (フランス)

旺文社世界史事典 三訂版
初め写本用の細かい装飾文字,のち手写本のさし絵を意味し,近世以降は細かい筆づかいの小さい絵の総称。細密 (さいみつ) 画ともいう語源はラテン語…

スルタン するたん Sultan

日本大百科全書(ニッポニカ)
イスラム教最高権威者であるカリフが授与した政治的有力支配者の称号。コーランでは、宗教的に重要な証示、または権威の意味で使用され、非人格的な…

シャー=アッバース

旺文社世界史事典 三訂版
⇨ アッバース(1世)

後ウマイヤ朝(こうウマイヤちょう) Umayya

山川 世界史小辞典 改訂新版
756~1031ウマイヤ朝が滅びた際,第10代カリフ,ヒシャームの孫アブド・アッラフマーンはスペインに走り,コルドバを都とする後ウマイヤ朝を興した。…

後ウマイヤ朝 こうウマイヤちょう Umayya

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
コルドバ・カリフ国とも呼ばれる。スペインにあったイスラム王国 (756~1031) 。アッバース朝に敗れたウマイヤ家のアブドゥル・ラフマーン1世 (在位 …

アッバース1世

367日誕生日大事典
生年月日:1571年1月27日ペルシアのサファビー朝第5代王(在位1587〜1629)1629年没

アブル・ファラジュ Abū al-Faraj al-Iṣfahānī

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
[生]897. イスファハン[没]967.11.20. バグダードアラブの文学者。ウマイヤ朝の末裔で,シーア派のムスリム。バグダード,レイ,アレッポなどに滞在…

マズヤド朝 マズヤドちょう Mazyad

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
イラク中央部にあった王朝 (961頃~1150) 。マズヤド家はアラブ遊牧民の出身で,イラク平原中央部のヒッラに定着し,周辺の遊牧民を支配した。5代目…

シュルタ shurṭa

改訂新版 世界大百科事典
初期イスラム時代の警察,警官のこと。シュラタshuraṭa,あるいは複数形でシュラトshuraṭとも呼ばれる。語源は4型動詞ashraṭa〈的確な目的のために,…

ファーティマ朝【ファーティマちょう】

百科事典マイペディア
10世紀初めから12世紀,エジプトを中心に北アフリカ〜シリアを支配したイスラム王朝で,最初のシーア派王朝。始祖はシーア派の一派イスマーイール派…

キンディー きんでぃー al-Kindī (796ころ―866)

日本大百科全書(ニッポニカ)
アラブ系の哲学者。バスラ(あるいはクーファ)に生まれる。南アラビアのキンダ人の出身のためにキンディーとよばれ、イスラム哲学史上数少ない純粋…

アッバース朝美術 アッバースちょうびじゅつ Abbasids art

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
アッバース朝治下 (750~1258) ,バグダードを中心にメソポタミア,ペルシアの影響を強く受けて発展したイスラム美術。サーマッラーには,ムタワッキ…

メルブ Merv

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
中央アジアの古都。トルクメニスタン,ムルガーブ川支流のオアシス,マルイの東約 27kmにある。この付近はすでにアケメネス朝時代に発達した灌漑農業…

キンディー al-Kindī,Ya`qūb ibn Isḥāq

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
[生]? [没]870頃9世紀前半に活躍した東方イスラム世界最初のアラブ系哲学者。ギリシア学芸の輸入が奨励された時代に活躍し,アッバース朝の宮廷に仕…

カイロ Cairo

旺文社世界史事典 三訂版
エジプト−アラブ共和国の首都ファーティマ朝のとき建設。カーヒラ(勝利者)と呼ばれ,973年首都になる。13世紀にアッバース朝が滅亡したのちは,イ…

サーマーン朝 サーマーンちょう Sāmān

旺文社世界史事典 三訂版
875〜999中央アジア最初のイラン系イスラーム王朝始祖はサーマーン=フダー。アッバース朝から事実上独立し,中央アジアからペルシア湾,またインド…

ウマイヤ朝 ウマイヤちょう Umayyad; Umayya

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
初期イスラム国家の名称。預言者ムハンマドの死後,4代のカリフが推されて続いたあと,ウマイヤ家出身のムアーウィヤ1世 (在位 661~680) がカリフの…

ellenismo

伊和中辞典 2版
[名](男) 1 ヘレニズム, 古代ギリシアの文化. 2 (アレキサンダー大王の東征からプトレマイオス朝の滅亡までの約300年間の)ヘレニズム文明. 3 古代…

ハムダーン朝 はむだーんちょう amdān

日本大百科全書(ニッポニカ)
上ユーフラテス、シリアを支配したアラブ系王朝(906~1004)。9世紀末にハワーリジュ派と連合して頭角を現した、始祖ハムダーンに由来した名。その…

ナーシル al-Nāṣir 生没年:1157か58-1225

改訂新版 世界大百科事典
アッバース朝第34代カリフ。在位1180-1225年。セルジューク朝の内訌によってイラクに権力の空白状態が起きたのを契機に,10世紀半ば以来,軍人・軍事…

タラス河畔の戦い タラスかはんのたたかい Talas

旺文社世界史事典 三訂版
751年に起こった,中央アジアのタラス川河畔における唐とアッバース朝との西域支配をめぐっての戦い唐の将軍高仙芝 (こうせんし) が大敗。タラス川は…

スルタン−カリフ制 スルタン−カリフせい Sultan Caliph

旺文社世界史事典 三訂版
オスマン帝国のスルタンが同時にスンナ派のカリフの地位を兼ねるとされた原則1517年オスマン帝国のスルタン,セリム1世が,アッバース朝カリフの子…

イブン・マーサワイフ Ibn Māsawayh 生没年:777-857

改訂新版 世界大百科事典
アッバース朝の医者。薬剤師であり,バグダードの宮廷の侍医でもあった父の末子として生まれる。初め聖職者を志すが,ジュンディーシャープールの医…

イブヌル・ムウタッズ いぶぬるむうたっず Ibn al-Mu‘tazz (861―908)

日本大百科全書(ニッポニカ)
アラブの詩人。アッバース朝のカリフ、アル・ムウタッズの子息で、バグダードに生まれメッカ(アラビア半島)で育った。カリフ、アル・ムクタフィー…

サマッラー さまっらー Sāmarrā'

日本大百科全書(ニッポニカ)
イラク中部、ティグリス川東岸、バグダードの北北西約96キロメートルにある町。アッバース朝の第8代から第15代カリフまでの約50年間の首都。836年第8…

ファーティマ朝 ファーティマちょう Fātima

旺文社世界史事典 三訂版
909〜1171北アフリカからエジプトを支配したシーア派イスラーム王朝イスマーイール派のウバイド=アッラーフはムハンマドの娘ファーティマの子孫と称…

としいせきサーマッラー【都市遺跡サーマッラー】

世界遺産詳解
2007年に登録されたイラクの世界遺産(文化遺産)。首都バグダットの北西、サラハディン州に位置し、ティグリス川両岸にある。836年にアッバース朝の…

キンディー al-Kindī

旺文社世界史事典 三訂版
801ごろ〜866ごろ9世紀に活躍したアッバース朝時代の学者ラテン名はアルキンドゥス。天文学・占星術・気象学・光学・医学・心理学・政治学・幾何学・…

ウバイドゥッラー・アルマフディー `Ubaid Allah al-Mahdī

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
チュニジアに建国し,のちにエジプト,シリアを支配したファーティマ朝の創始者 (在位 909~934) 。シーア派の一分派イスマーイール派を奉じて,みず…

ムラービト朝 ムラービトちょう al-Murābit

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
ベルベル人による最初のイスラム王朝 (1056~1147) 。北アフリカとイベリア半島を支配。首都はマラケシュ (マルラーケシュ) 。ヨーロッパではアルモ…

バイト・アルマール bayt al-māl

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
イスラム国家における国庫を意味するアラビア語。ムハンマドの時代から国庫概念の萌芽は認められたが,実際に国庫の制度ができたのは正統カリフ時代…

ヴェルハウゼン Julius Wellhausen

山川 世界史小辞典 改訂新版
1844~1918ドイツの初期イスラーム史研究者,聖書学者。旧約聖書に関する五書資料説を確立。イスラーム研究においては『アラブ帝国とその衰亡』にお…

スルタン・カリフ制度 スルタン・カリフせいど

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
オスマン帝国のスルタンがカリフをも兼ねる制度。一般に,1517年セリム1世がエジプトを征服してアッバース朝カリフの末裔ムタワッキルをイスタンブー…

ハールーン・アッラシード Hārūn al-Rashīd 生没年:766-809

改訂新版 世界大百科事典
アッバース朝第5代カリフ。在位786-809年。生年は763年の説もある。この王朝の全盛期を代表する君主で,797,803,806年の3回にわたってビザンティン…

イブン・ラーイク Ibn Rā'iq

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
[生]?[没]942.4. モスルアッバース朝の将軍。初代のアミール・アルウマラー。トルコ系ハザール族の出身。父は下級のマムルーク (トルコ系奴隷軍人) …

ハムダーン朝 (ハムダーンちょう) Ḥamdān

改訂新版 世界大百科事典
アラブのタグリブ族のハムダーン家が北メソポタミア(905-991)とシリア北部(945-1004)に建設したイスラム王朝。アブド・アッラーフ`Abd Allāh(在…

フワーリズミー Khwarizmī

旺文社世界史事典 三訂版
780ごろ〜850ごろイスラームの数学・天文学者中央アジアのホラズムの生まれ。アッバース朝第7代カリフのマームーンに仕え,インド数学をイスラーム…

レイ Rey

改訂新版 世界大百科事典
イラン中部の都市。古称はラガRagha。古来東西交通の要衝を占め,アケメネス朝下で大都市として栄え,イスラム時代にもジバール州の主要都市であった…

ホルムズ島 ほるむずとう Jazīreh-ye-Hormoz

日本大百科全書(ニッポニカ)
ペルシア湾口のホルムズ海峡に位置するイラン領の小島。面積約37平方キロメートル。同名の港町があるが、これは大陸部のミーナーブ川の河口で栄えて…

ワジール わじーる wazīr

日本大百科全書(ニッポニカ)
「宰相」「大臣」などを意味するアラビア語で、英語でもそのまま用いられる。イスラム圏でワジールが出てくるのはアッバース朝(750~1258)からで、…

バンダル‐アッバース(Bandar 'Abbās)

デジタル大辞泉
イラン南部の港湾都市。ホルモズガーン州の州都。ホルムズ海峡に面し、同国の三大貿易港の一つに数えられる。中世より海上交易の拠点になり、17世紀…

アズラキー Azraqī 生没年:?-858以後

改訂新版 世界大百科事典
アッバース朝時代のメッカの歴史家。先祖のアズラクはルーム(小アジア)出身の奴隷で,メッカに住みつきウマイヤ家と婚姻関係を結んで勢力を伸ばし…

イスマーイール・イブン・アフマド Ismā`īl b. Aḥmad

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
[生]849[没]907中央アジアおよび東イランを支配したサーマン朝の事実上の創始者。初めサマルカンドの兄ナスル (在位 874~892) のもとでブハラ総督を…

アッバース(1世) あっばーす ‘Abbās Ⅰ (1571―1629)

日本大百科全書(ニッポニカ)
サファビー朝第5代の王(在位1588~1629)。シャー・アッバース、アッバース大帝ともよばれる。即位当時、サファビー朝は実権をトルコ系遊牧諸首長に…

アッバース1世(アッバースいっせい) ‘Abbās Ⅰ

山川 世界史小辞典 改訂新版
1571~1629(在位1587~1629)サファヴィー朝の第5代王,中興の祖。クズルバシュの押え込みと国王への集権に成功し,外敵との抗争においても大きな成果…

マムルーク mamlūk

旺文社世界史事典 三訂版
イスラーム世界に広く存在したトルコ人,スラヴ人,ギリシア人などの白人奴隷元来「奴隷」を意味するアラビア語であったが,黒人奴隷とは一線を画し…

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