オブレヒト

百科事典マイペディア 「オブレヒト」の意味・わかりやすい解説

オブレヒト

フランドル楽派作曲家。生地は北ブラバントのベルヘン・オプ・ゾームとされるが,異説もあり,ユトレヒトの聖歌隊長(1476年)以前の経歴も不詳。以後フランドル各地を活動の舞台に,カンブレー大聖堂楽長などを歴任した。その間1487年−1488年にはイタリアのフェラーラ宮廷に滞在し,のちに再訪した同地でペスト禍に倒れた。フランドル楽派中期の代表的音楽家で,ミサ曲モテット,世俗歌曲がほぼ同数残されているが,宗教曲ことにミサ曲が重要。柔軟に扱われた定旋律技法に特徴があり,手法上の創意にあふれたその音楽は特有の瞑想(めいそう)性に彩られている。代表作として知られるミサ曲《やさしきマリア》をはじめ,俗謡にもとづく作品も多い。

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改訂新版 世界大百科事典 「オブレヒト」の意味・わかりやすい解説

オブレヒト
Jacob Obrecht
生没年:1450ころ-1505

フランドル楽派の作曲家。ユトレヒトをはじめフランドル各地の聖歌隊長や楽長を歴任。1487年にはフェラーラ大公エルコレ1世の招きで半年間イタリアのフェラーラに滞在。94年アントワープのノートル・ダム大聖堂に彼の名が記されており,この時期に代表作のミサ曲《やさしきマリア》や,モテット《サルベ・レジナ》が作られている。宗教音楽,とくにミサ曲に本領を発揮し,それらの作品の対位法様式は,曲の軸である定旋律の選択と扱い方に柔軟さと多様な独創性を示している。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「オブレヒト」の意味・わかりやすい解説

オブレヒト
Obrecht, Jakob

[生]1452.11.22. ベルヘンオプゾーム
[没]1505. フェララ
フランドル楽派の代表的作曲家。 1484年カンブレー大聖堂楽長,85~91年聖ドナティアヌス教会楽長,その間フェララの宮廷歌手,91年アントワープ (アントウェルペン) 大聖堂楽長。 1504年フェララへ旅行し,翌年その地で流行したペストのため死去。緻密な対位法手法と繊細優美な響きはジョスカン・デ・プレ先駆となった。作品は,ミサ約 27,モテト約 19,その他多くの世俗シャンソンがある。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「オブレヒト」の意味・わかりやすい解説

オブレヒト
おぶれひと
Jacob Obrecht
(1450―1505)

フランドル楽派の作曲家。北ブラバント(現ベルギー)のベルヘン・オプ・ゾームに生まれる。生地をはじめ、ユトレヒト、カンブレー、ブリュージュ、アントワープ(アントウェルペン)の教会の楽長を歴任。1504年イタリアのフェッラーラに行き、ペストのため同地で没した。盛期フランドル楽派中とくに重要な作曲家で、厳格な対位法書法を基礎に、統一のとれた構成をもつ音楽を書いた。とくにミサ曲の作曲に力を注いだが、そのほかモテット、シャンソン、フラマン語による多声歌曲、純粋器楽曲など多数の作品を残した。

[今谷和徳]

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