モテット(英語表記)motet

翻訳|motet

精選版 日本国語大辞典 「モテット」の意味・読み・例文・類語

モテット

〘名〙 (motet mottetto もとは言葉(mot)を与えられた声部の意) 一三世紀に成立した宗教的声楽曲。初期のものは聖歌に基づく定旋律の上に二声部をもち、異なる歌詞で歌われたが、時代とともに多様な様式変化を遂げた。

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デジタル大辞泉 「モテット」の意味・読み・例文・類語

モテット(motet)

《「モテト」とも》13世紀以来ヨーロッパで発達した、聖書の詩編などを歌詞にもつ多声の宗教声楽曲。

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改訂新版 世界大百科事典 「モテット」の意味・わかりやすい解説

モテット
motet

モテットはミサ曲と並ぶ宗教音楽の最も重要な作曲形式であるが,13世紀から今日に至る約700年の間に,一時は世俗化の方向へ傾き,また作曲技法や様式のうえで,さまざまな変遷を遂げてきた。時代的に大きく分ければ,後期ゴシックまでの中世のモテット,ルネサンス時代の合唱ポリフォニー様式のモテット,種々の作風をあわせもつバロック時代のモテット,18世紀後半以降ロマン派から現代に至るモテットに区分できよう。

 中世のモテットは,オルガヌムorganum(ラテン語)と呼ばれる初期のポリフォニーの形態を母体として興った。オルガヌムとはグレゴリオ聖歌の旋律に対して別の旋律を付け加える作曲技法を総称し,9世紀半ばころに始まった最初の形はなお稚拙であった。しかし,12世紀末から13世紀にかけてパリのノートル・ダム楽派の時代に入ると,グレゴリオ聖歌の旋律の一部分を拡大したものを定旋律とし,その上に装飾的旋律を重ねる技法が用いられるようになり,これをクラウスラclausula(ラテン語)と呼んだ。クラウスラにおける装飾的な対位旋律は,母韻唱法によることが多かったが,歌いやすくするために,それに独立した宗教的歌詞をシラビックに当てはめることも行われた。それがモテットの始源の形態である。歌詞を付された対位旋律は〈モテトゥスmotetus〉(ラテン語)と呼ばれ,その語源は古いフランス語で〈ことば〉を意味するmotであったとされる。やがて1240年ころからモテトゥスの名は,その種の作風をもつ楽曲自体の呼称となり,付加声部の数も2声部,まれには3声部にまで増大し,グレゴリオ聖歌の部分を拡大した定旋律の上に,フランス語のテキストをもち,トルベール歌曲の流れを引く世俗歌曲が置かれるという聖俗混交の形も現れた。さらに14世紀には,イソリズムisorhythm(またはアイソリズム)と呼ばれる一定の長さのリズム型を,いわばリズム的フレーズとして,音高にかかわりなく1ないし全声部に適用した高度に技巧的な作風が現れた(マショー)。

 これに対して,およそ1450年以降のルネサンス様式のモテットは,再び宗教的な性格に復帰するとともに,古典的な合唱ポリフォニーの技法の完成に伴って模倣法とホモフォニックな書法を適度に交替させ,表情豊かな美しい響きで,今日まで愛唱される多数の名曲を生み出した。ジョスカン・デ・プレ,パレストリーナラッススらがその代表者であり,とくにラッススは一人で1200曲もの作品を残している。他方,北イタリアのベネチアでは,G.ガブリエリを代表者とする複合唱様式のモテットが起こり,その影響はドイツにも及んだ(プレトリウスMichael Praetorius(1571-1621)ら)。

 バロック時代のモテットは,一面ではルネサンスの合唱様式を継続するとともに(J.J. フックス,J.S. バッハら),通奏低音に支えられ,オブリガートの旋律を奏する楽器や管弦楽を伴う独唱,重唱のカンタータ風の作品も現れた(シュッツの《シンフォニエ・サクレ》)。なおフランスでは,独唱者と通奏低音のための作品を小モテットpetit motetと呼び,独唱者(群),合唱,管弦楽を駆使した大規模な作品を大モテットgrand motetと呼んで区別した。

 18世紀後半以降,モテットの作風には和声的な語法がいっそう繊細になったことと,コロラトゥーラの声の妙技が入りこんできたこと以外,とくに新しい傾向はみられない。モーツァルトを例にとれば,《アベ・ベルム・コルプスAve verum corpus》(K.618)は伝統的な合唱モテットの流れを引く作品であり,《エクスルターテ・ユビラーテExsultate,jubilate(踊れ,喜べ)》(K.165)は,イタリア風のコロラトゥーラをまじえた独唱モテットの流れを引く作品である。ロマン派の重要な作曲家には,メンデルスゾーンブラームス,サン・サーンス,C.フランクらがいる。20世紀では,ドイツ福音主義教会のディストラー,ペッピングErnst Pepping(1901-81)らが,古い教会旋法をしのばせる和声語法と現代的な手法を混和した作風で,再びモテットの伝統の復興をはかっている。
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百科事典マイペディア 「モテット」の意味・わかりやすい解説

モテット

中世からルネサンス時代にかけての多声音楽のもっとも代表的な形式。無伴奏の声楽曲が多い。オルガヌムから最初期の形態が生まれ,13−18世紀にヨーロッパ各地でさまざまに発展をとげた。時代様式からは,中世(テノール声部に対して異なった歌詞・リズムをもつ声部が置かれ独立性が強調される),ルネサンス期のフランドル楽派(模倣的対位法が使われ,全体が2〜3の部分から構成される),バロック(古い様式を保持しつつ,器楽伴奏や独唱をとり入れるなどの改革を含む)に大別される。ミサ曲と並んで宗教音楽の最も重要な楽曲形式。モテットの初期(13−14世紀)の形態は,ラテン語でモテトゥスmotetusと呼ばれた。→アンセムコラール
→関連項目イザークオケヘムオブレヒト合唱ガブリエリカリッシミシャイトジャヌカンジョスカン・デ・プレスウェーリンクダンスタブルドラランドハスラーバードパレストリーナバンショアビクトリアビバルディマショーモーツァルトモンテベルディラッスス

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「モテット」の意味・わかりやすい解説

モテット
もてっと
motet 英語
motet フランス語
Motette ドイツ語
mottetto イタリア語
motetus ラテン語

宗教的声楽曲の重要な一形式。13世紀初頭に成立して以来、それぞれの時代の音楽形式の変遷に従って多様な変化を遂げたため、統一的な定義は不可能だが、ごく一般的には、ミサ曲を除く主としてポリフォニー(多声)様式による宗教的声楽曲の総称と考えてよい。

 モテットの語源は、「ことば」を意味する古いフランス語のmotに由来する。13世紀のノートルダム楽派オルガヌムでは独立した楽曲としての「クラウスラ」の上声部(ドゥプルム)は本来母音で歌われたが、それに新しい歌詞motが与えられたため、その上声部がモテトゥスとよばれ、やがて楽曲自体の名称もモテトゥスないしモテットとなった。聖歌に基づく定旋律の上に二つの上声部が置かれたものを二重モテット、三つ置かれたものを三重モテットという。これらの歌詞は、初めはラテン語だったが、しだいにフランス語、しかも世俗的な内容のものが多くなった。これはギヨーム・ド・マショーに代表される14世紀のアルス・ノバ期まで引き継がれたが、旋律を歌詞に関係なく休符を挟んだ短い断片にしてしまうホケトゥスのような特異な唱法や、同一リズム型の反復によるイソ・リズム(アイソリズム)という技法が多用された。

 15~16世紀になると、いわゆるルネサンス様式のモテットが多数作曲された。世俗性は完全に後退し、広くミサ曲を除いたポリフォニーによる宗教的声楽曲として、デュファイに始まりジョスカン・デ・プレで頂点に達するフランドル楽派から、パレストリーナに代表されるローマ楽派に至る傑作群を形成した。とくにパレストリーナにおいては、無伴奏のア・カペラ様式の演奏法が確立された。16世紀後半、ガブリエリに代表されるベネチア楽派では、合唱を分割する分割合唱(複合唱)様式が生まれたが、これはローマ楽派やドイツの作曲家にも大きな影響を及ぼした。

 宗教改革後のドイツ・プロテスタント教会では、ルターがジョスカン・デ・プレを高く評価していたように、フランドル楽派のモテットが演奏されたが、やがてコラールに基づいたコラール・モテットが確立された。シュッツはベネチア楽派の分割合唱や、通奏低音法に基づいたモノディ様式をドイツに導入した。器楽と声楽の協奏も含めた多彩なドイツ・バロック様式の頂点がJ・S・バッハのモテットである。

 フランスではリュリ、ドラランドらの壮麗なベルサイユ・モテットと並んでクープランらの繊細なプチ・モテも生まれ、イギリスではアンセムが生まれた。

 バッハ以後、つまり18世紀後半以降は、啓蒙(けいもう)主義の影響で宗教音楽そのものの重要性が薄れたためモテットの比重も小さくなったが、モーツァルトには『アベ・ベルム・コルプス』などの佳品も少なくない。19世紀以降もドイツではメンデルスゾーン、シューマン、リスト、ブラームス、とくにブルックナーが重要で、現代のディストラー、ペッピングなどは、ドイツ福音(ふくいん)教会を中心にモテットの復興に努めている。フランスにもグノー、フランクからメシアンに至る伝統がある。

樋口隆一

『皆川達夫著『西洋音楽史 中世・ルネサンス』(1986・音楽之友社)』『R・ヴリーゲン著『ポリフォニーに見る歓び』(1961・音楽之友社)』『A・ジェイコブズ著、平田勝・松平陽子訳『合唱音楽――その歴史と作品』(1980・全音楽譜出版社)』

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世界大百科事典(旧版)内のモテットの言及

【キリスト教音楽】より

ミサ曲)をはじめとする諸作品があり,また俗語を歌詞とする宗教的な歌曲ラウダlauda(イタリア)やキャロルcarol(イギリス)なども隆盛に向かった。 15~16世紀は,ルネサンスの古典対位法の作曲技法の完成によって,ミサ曲やモテットなどの合唱ポリフォニーの作品が,比類のない芸術的な高みに達した時代である。いくつもの声の旋律線が互いにからみ合って流れるポリフォニーの芸術は,慎重な不協和音の処理によって,みごとな陰影を伴った和声的な美しさを獲得したが,その効果はルネサンスの絵画における空気遠近法の効果に比べられよう。…

【中世音楽】より

…とくにパリのノートル・ダム大聖堂では,12世紀後半から13世紀前半にかけて,レオナンの2声の《大オルガヌム曲集》や,ペロタンの3~4声のオルガヌムに代表される多声の宗教音楽がつくり出された(ノートル・ダム楽派)。ある一曲のオルガヌムの特定の一部分(クラウスラ)の第2の声部に,新しい歌詞を与えて歌うことから始まったモテットは,そのような一種の替歌としてではなく,初めから2~4声の曲として作曲されるようになった。モテットではグレゴリオ聖歌の旋律が概して長い音価で最低部に置かれ,その上に第2,第3の声部が付け加えられるのが常であったが,新作の声部は,それぞれ異なった歌詞をもっていた。…

【ポリフォニー】より

…12世紀フランスのサン・マルシアル楽派において,ようやく声部のリズム的独立が認められるようになった。1200年前後のノートル・ダム楽派で登場したモテットでは,各声部がリズム的に異なる流れをもつばかりでなく,声部ごとに異なる歌詞(場合によっては異なる言語のもの)が歌われたという点で,声部間の独立性が極端なまでに推し進められたといえる。13世紀には声部数の増加に伴ってリズムを厳密化する必要が生じ,リズムの音価を詳細に規定する定量理論が成立した。…

【マショー】より

…46年に主君が戦死した後,マショーはジャン・ド・ベリー公(シャルル5世の弟)ほか,フランスの有数の貴族に仕えた。 マショーは,レー,ビルレー,バラード,ロンドーなどの形式による世俗歌曲約115曲,モテット23曲,ミサ曲1曲を残している。レー,ビルレーには単声の曲が多いが,その他の種目では,バラードの1曲を除いて,すべて2~4声で作曲されている。…

※「モテット」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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