イタリア北部,エミリア・ロマーニャ州の同名県の県都。人口13万1907(2004)。州の北東部,ポー川の南数kmのところにあり,ボローニャとパドバを結ぶ鉄道が通る。起源はかなり古いと思われるが,記録にあらわれるのは8世紀にビザンティン帝国の総督領となってからである。774年にローマ教会に委譲された。10世紀にカノッサ伯の所領として教会によって封じられ,12世紀ごろに市民によって選出される執政官に治められる都市国家となった。1167年には皇帝フリードリヒ1世に抗するロンバルディア都市同盟に加わったが,当時のイタリアのほかの都市同様,教皇派と皇帝派に分かれた貴族が支配を争い,そのなかから1267年,エステEste家がシニョーレとして支配を確立し,その下でこの都市は繁栄した。とりわけエルコレ1世(在位1471-97)は,父ボルソとともに当時のルネサンス文化のパトロンとしてヨーロッパに名をはせ,その宮廷には,ボイアルド,アリオスト,タッソなどの詩人が出入りし,絵画もフェラーラ派として知られる独自の様式が芽生えた。エルコレ1世はまた,この都市を計画的に整備し,今日みられるような,城壁に囲まれて,碁盤状の街路,緑の多い居住地区を含む都市ができ上がった。16世紀末に教皇庁領となってからは,一地方都市に堕し,イタリア統一後もしばらく停滞が続いたが,19世紀末,灌漑の結果,この地域でテンサイの栽培が始まり,製糖業の中心地となってから,人口も増大した。今日では,石油精製所も立地しているが,工業の主体は,周囲の豊かな農業地域と結びついた食品工業(砂糖,製粉),農業機械,化学肥料などである。
執筆者:萩原 愛一
ロンバルディア様式の大聖堂は1135年に起工され,13世紀末に大部分が完成した。大聖堂付属美術館には,幻想的・怪奇的表現に傾くC.トゥーラのオルガン扉絵《受胎告知》(1469)がある。彼は〈フェラーラ派〉の開祖とされ,続くF.delコッサはボルソの注文でスキファノイア宮殿〈月暦の間〉に特異な図像で知られるフレスコ(1470ころ)を描いた。
執筆者:五十嵐 ミドリ 国立フェラーラ美術館は,外壁のダイヤモンド・カットのような切石積みを特徴とするパラッツォ・デイ・ディアマンティ(ダイヤモンド宮殿,1492-1565)の2階の20室を占め,14世紀以降のフェラーラ派絵画の収集を誇る。C.トゥーラ,エルコレ・デ・ロベルティ,L.コスタのほかに,〈フェラーラのラファエロ〉と称されたガローファロGarofalo(1481ころ-1559)やドッソ・ドッシの作品があり,また1階にはフェラーラ出身の画家ボルディーニGiovanni Boldini(1842-1931)を記念して,彼の作品が数多く展示されている。
執筆者:生田 圓
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