ジョスカンデプレ

デジタル大辞泉 「ジョスカンデプレ」の意味・読み・例文・類語

ジョスカン‐デ‐プレ(Josquin des Prés)

[1440ころ~1521]ルネサンス期のフランドルの作曲家。ミサ曲をはじめ、さまざまな分野作品を残した。

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精選版 日本国語大辞典 「ジョスカンデプレ」の意味・読み・例文・類語

ジョスカン‐デ‐プレ

(Josquin des Prés) ルネサンス期フランドルまたはフランス最大の作曲家。フランドル楽派を代表する。イタリアで聖歌隊歌手をつとめたのち、ルイ一二世の宮廷音楽家となって、ミサ曲、モテットのほか世俗的声楽曲を多数書いた。君主称号の綴りの母音音名に読みかえたミサ曲「フェララ公ヘルクレス」などが有名。(一四四〇頃‐一五二一

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改訂新版 世界大百科事典 「ジョスカンデプレ」の意味・わかりやすい解説

ジョスカン・デ・プレ
Josquin des Préz
生没年:1440ころ-1521

フランドル楽派の作曲家。ルネサンス最高の音楽家として当時から尊敬を受け,ルターが〈音符を意のままに支配する楽匠〉と賞賛した。青年時代に故郷のフランドル地方からイタリアに行き,1459年から72年末までミラノの大聖堂聖歌隊歌手をつとめた。引き続きミラノ公の宮廷に移り,79-86年にはアスカニオ・スフォルツァに仕えたが,アスカニオが枢機卿になると,86年から教皇礼拝堂聖歌隊歌手として活躍,1501年にはフランスに向かいルイ12世の宮廷に仕えたが,03年すでに密接な関係のあったフェラーラ公エルコレ1世の宮廷礼拝堂楽長に迎えられた。しかし翌年にはコンデ(北東フランス)のノートル・ダム教会主任司祭に就任し,余生を過ごした。多岐にわたる作品は,通模倣と呼ばれる一貫した模倣対位法書法を核にし,充実した和声的な響きをもち,均整のとれた古典的な構築法を示しているが,さらに歌詞の内容に相応した新しい表現方法も認められる。歌詞の素材が聖書(とくに《詩篇》)や祈禱文など広範囲に及ぶモテットでは,きわめて多彩な表現がくふうされ,《アベ・マリア》や《メモール・エスト》は有名である。また,ミサ曲は楽譜印刷を始めたペトルッチOttaviano Petrucci(1466-1539)によって3巻の個人全集としてジョスカンの生前に出版された。とくに《ロム・アルメ》や《パンジェ・リングア》は傑作である。
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世界大百科事典(旧版)内のジョスカンデプレの言及

【フランドル楽派】より

…また,イタリアの清澄な和声法,ポリフォニーホモフォニーの対比効果も重視された。この世代の代表的な作曲家には,イタリアで長く活躍し,楽曲構成法に〈完全な技芸〉を示したジョスカン・デ・プレをはじめとして,イザーク,ピエール・ド・ラ・リューPierre de la Rue(1460ころ‐1518)らがいる。16世紀中ごろまでの第3期はジョスカンの成果の踏襲といえるが,声部数はしだいに増加し,複合唱手法が好まれるようになった。…

※「ジョスカンデプレ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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