シャンソン(読み)しゃんそん

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

シャンソン(フランス中世多声歌曲)
しゃんそん
chansonフランス語

フランスの世俗的な歌の総称。わが国では普通、19、20世紀を通じて歌われているフランスの流行歌曲をさすが(同名別項の「シャンソン」参照)、音楽史のうえでは、狭義には中世後期から16世紀末まで展開された多声歌曲のことをいう。
 フランス語で歌われる多声のシャンソンが登場したのは13世紀末で、トルーベールのアダン・ド・ラ・アールらによって試みられた。ついで14世紀には、マショーGuillaume de Machaut(1300ころ―77)が2声ないし4声のシャンソンを多数残し、それまで展開されてきた単旋律のトルーベール歌曲の形態を継承して、バラードballade、ロンドーrondeau、ビルレーvirelaiなどの歌曲定型を確立した。そこでは宮廷風の愛を中心テーマとして歌い、最上声部を歌で、下声部を楽器で奏する形がとられた。1360年ごろから作曲技法を複雑化していこうとする傾向がみえ始め、群小作曲家たちによって技巧過多ぎみのシャンソンが15世紀初頭ごろまでつくられ続けた。
 15世紀には、ブルゴーニュ公国の宮廷がシャンソン創作の最大の中心地となった。ここでは、バンショアGilles Binchois(1400ころ―60)を中心とした作曲家によって、マショー以来の歌曲定型によるシャンソンが多数書かれた。宮廷風の愛をテーマとし、最上声部は歌で、下声部は楽器でという形態は変わらなかったが、ほとんどは三声曲であった。ブルゴーニュ・シャンソンはその周辺の地域に大きな影響を与えたが、サボア公国の宮廷、北イタリア、カンブレーといったブルゴーニュの周辺で活躍した大作曲家デュファイGuillaume Dufay(1400ころ―74)も、ブルゴーニュ風シャンソンを多く生み出した。しかし、デュファイのいくつかの作品には四声曲もあり、歌われる声部も1声部に限られないなど、ブルゴーニュ的性格を離れようとする傾向もみられる。
 1477年のブルゴーニュ公国崩壊後、シャンソンの作曲法に少しずつ変化が現れた。オケヘムJohannes Ockeghem(1425ころ―97)のシャンソンはまだブルゴーニュ・シャンソンそのままだったが、ビュノアAntoine Busnois(1430ころ―92)のものには定型によらない自由曲が多くみられる。15世紀末から16世紀初頭にかけて活躍したジョスカン・デ・プレJosquin des Prz(1440ころ―1521)、コンペールLoyset Compre(1450ころ―1518)などのフランドル楽派の作曲家たちはしだいに定型を離れて、通模倣書法を主体とした自由形式に移行し、三声曲だけでなく、四声、五声、六声曲も書き、単旋律の俗謡を素材とした曲も取り上げていった。
 16世紀前半には、パリを中心に新しい様式のシャンソンが開花した。その開拓者はセルミジClaudin de Sermisy(1490ころ―1562)で、伝統的な歌曲定型を廃し、最上声部に親しみやすい旋律を置いてホモフォニー書法を重視し、簡潔な形式によるシャンソンを書いた。四声曲が一般的で、歌われたテーマも男女間の率直な恋の喜びや悲しみ、庶民の生活など多彩になった。セルミジに続いて、セルトンPierre Certon(?―1572)やジャヌカンClment Janequin(1485ころ―1558)などの作曲家がこの新しい形のシャンソンを手がけていったが、とくにジャヌカンはホモフォニーとポリフォニーの技法を巧みに組み合わせた優れた作品を多数書き、他の作曲家を凌駕(りょうが)する存在となった。ジャヌカンはまた、鳥の鳴き声や戦争のありさまなどを巧みに描写した標題シャンソンの分野にも秀でていた。一方この時期には、ゴンベールNicolas Gombert(1495ころ―1560ころ)やクレキヨンThomas Crquillon(1480ころ―1557ころ)などのフランドル出身の作曲家たちによる通模倣書法で書かれたシャンソンも存在した。
 16世紀の後半になると、ふたたび変化がみえ始める。声部数は、3声、4声、5声、6声と多彩になり、ホモフォニー様式が一般化し、臨時記号を多用したり、半音階的手法などがしばしば試みられた。グーディメルClaude Goudimel(1514/20―72)、ル・ジュヌClaude Le Jeune(1530ころ―1600)、コストレGuillaume Costeley(1530ころ―1606)、ベルトランAnthoine de Bertrand(1530/40―1580/82)、ラッソOrlando di Lasso(1532―94)などがこの時期の代表的シャンソン作曲家だが、ル・ジュヌを中心に、古代の音楽の理想を追求した韻律音楽によるシャンソンの試みもなされた。しかし、リュートを伴奏とした独唱歌曲も多く書かれるようになり、多声シャンソンは、こうした新しい音楽にしだいに道を譲るようになって、17世紀には姿を消してゆくのである。[今谷和徳]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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