厨川白村(読み)クリヤガワハクソン

デジタル大辞泉 「厨川白村」の意味・読み・例文・類語

くりやがわ‐はくそん〔くりやがは‐〕【厨川白村】

[1880~1923]英文学者評論家。京大教授京都の生まれ。本名、辰夫。「近代文学十講」で、西欧の近代文学思潮を体系的に解説。他に「象牙の塔を出て」「近代の恋愛観」など。

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精選版 日本国語大辞典 「厨川白村」の意味・読み・例文・類語

くりやがわ‐はくそん【厨川白村】

英文学者。評論家。文博。本名辰夫。京都出身。東京帝国大学卒。京都帝国大学教授。自由主義立場から、文芸批評文明批評の筆をとる。近代欧米の文芸思潮を体系的に解説した「近代文学十講」をはじめ、「象牙の塔を出て」「近代の恋愛観」などの著がある。明治一三~大正一二年(一八八〇‐一九二三

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朝日日本歴史人物事典 「厨川白村」の解説

厨川白村

没年:大正12.9.2(1923)
生年:明治13.11.19(1880)
明治大正期の評論家,英文学者。本名辰夫。京都の生まれ。明治37(1904)年,東京帝大英文科を首席で卒業。夏目漱石の『虞美人草』の小野のモデルといわれたのも,うなずける。五高,三高,京都帝大の教授を歴任,多くの若手を育てた。小泉八雲上田敏影響を受け,『近代文学十講』(1912)を出すが,西欧近代の文芸思潮を簡明に描き,多くの読者を得た。大正4(1915)年,火傷で左足を切断するが,次第に文明批評に転じ,芸術と社会の関係に注意する視点をバネに,『象牙の塔を出て』(1920),『近代の恋愛観』(1922)などの代表作を得た。やや感傷的ながら,その博識を口あたりよく論述する文章は,いかにも大正の若者の心をとらえるにふさわしい。哲学風の大正教養主義の人々ともやや違ったところで,時代にマッチしていたのだろう。かつて出ていた文庫本も今はなく,忘れられた存在となっているのは惜しい。<著作>『厨川白村全集』全6巻

(中島国彦)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「厨川白村」の意味・わかりやすい解説

厨川白村
くりやがわはくそん
(1880―1923)

英文学者、文芸批評家。津山藩士厨川磊三(らいぞう)の子として京都に生まれる。本名辰夫。東京帝国大学英文科に進み、小泉八雲(やくも)、夏目漱石(そうせき)、上田敏(びん)に学び、1904年(明治37)卒業。五高、三高教授を歴任。16年(大正5)アメリカ留学中に京大助教授となる。帰国後、文学博士となり、英文学研究と欧米文芸の紹介と西欧の近代文芸思潮を解説した『近代文学十講』(1912)、文芸と社会を結び付ける主張の『象牙(ぞうげ)の塔を出て』(1920)、自由恋愛を謳歌(おうか)する『近代の恋愛観』(1921)などの著作で活躍するが、関東大震災の津波にさらわれたのが原因で鎌倉にて死亡する。

[富田 仁]

『『近代文学研究叢書22』(1964・昭和女子大学)』

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「厨川白村」の解説

厨川白村 くりやがわ-はくそん

1880-1923 明治-大正時代の英文学者,評論家。
明治13年11月19日生まれ。小泉八雲(やくも),夏目漱石(そうせき),上田敏(びん)らにまなぶ。五高,三高の教授をへて京都帝大教授。著作の「近代文学十講」(明治45年)や「近代の恋愛観」(大正11年)は,青年におおきな影響をあたえた。大正12年9月2日関東大震災の津波により鎌倉で死去。44歳。京都出身。東京帝大卒。本名は辰夫。
【格言など】「永遠の都城」は羅馬(ローマ)ではなく恋である(「近代の恋愛観」)

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「厨川白村」の解説

厨川白村
くりやがわはくそん

1880.11.19~1923.9.2

大正期の英文学者・文芸評論家。本名辰夫。京都府出身。東大卒業後,五高・三高・京大教授を歴任し,その間アメリカに留学。独創性には欠けるが広範な近代欧米文芸思潮の紹介に努め,「近代文学十講」とその続編「文芸思潮論」は日本初の欧米文芸思潮の解説書として広く愛読された。またサント・ブーブの言葉を書名にした「象牙の塔を出て」で,学者が社会と交渉すべきことを説いた。その他「近代の恋愛観」などがある。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「厨川白村」の意味・わかりやすい解説

厨川白村
くりやがわはくそん

[生]1880.11.19. 京都
[没]1923.9.2. 鎌倉
英文学者,評論家。本名,辰夫。 1904年東京大学英文科卒業。第五,第三高等学校教授を経て,16年京都大学助教授。文学博士。西欧近代の文芸思潮を体系的に紹介,解説した『近代文学十講』 (1912) で認められ,『近代の恋愛観』 (21) で新しい恋愛を主張,有島武郎と人気を二分したが,関東大震災で不慮の死をとげた。

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百科事典マイペディア 「厨川白村」の意味・わかりやすい解説

厨川白村【くりやがわはくそん】

評論家,英文学者。本名辰夫。京都生れ。東大英文科卒,小泉八雲の教えを受けた。京大教授。《近代文学十講》で欧米近代文学を体系的に紹介,文明・社会批評にも活躍。大正期の評壇の花形となった。ほかに《象牙の塔を出でて》《近代の恋愛観》や全集7巻がある。関東大震災で不慮の死をとげた。

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旺文社日本史事典 三訂版 「厨川白村」の解説

厨川白村
くりやがわはくそん

1880〜1923
大正時代の英文学者・評論家
本名は辰夫。京都の生まれ。東大卒。アメリカ留学後,京大教授となる。評論家としても活躍。その著書『近代文学十講』『近代の恋愛観』などは,当時の文壇や青年層に大きな影響を与えた。

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世界大百科事典(旧版)内の厨川白村の言及

【ブラウニング】より

…詩人のいまひとつの特質といえよう。大正時代の青年層に広く歓迎された厨川(くりやがわ)白村《近代の恋愛観》(1922)もこの影響である。妻の死後,イギリスに帰り《劇的人物》(1864),《指輪と本》(1868‐69)を出して最高の詩的円熟を示した。…

※「厨川白村」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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