寄島(読み)よりしま

日本歴史地名大系 「寄島」の解説

寄島
よりしま

[現在地名]寄島町 三郎

寄島町の港から南方約一キロの沖合にあり、東西一キロ、南北〇・五キロ。双丘からなり三郎さぶろう島とも称する。近世から東大島ひがしおおしま村に属した。今日では寄島湾干拓によって陸繋化している。寄島の南西に海食奇岩からなる三つの小島があり、現在正式にはこちらを三郎島とよぶ。通称はつ山。高さはそれぞれ一〇メートル、長さ一五メートル、相互の島の間六メートル。三つの島頂には黒松が一本ずつ自生している。

応永元年(一三九四)仮託の吉備津宮惣解文写(吉備津神社文書)に三郎島がみえ、「鰯海糠」が僧永覚によって納められている。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「寄島」の意味・わかりやすい解説

寄島
よりしま

岡山県南西部、浅口郡(あさくちぐん)にあった旧町名(寄島町(ちょう))。現在は浅口市の南部を占める地域。瀬戸内海水島灘(なだ)に臨む。北側に竜王(りゅうおう)山があり、海岸部に狭い平地がある。旧寄島町は、1901年(明治34)町制施行。2006年(平成18)金光(こんこう)、鴨方(かもがた)2町と合併して市制施行、浅口市となった。旧町名は、海上に浮かぶ三郎(さぶろう)島の旧名寄島に由来。中心集落の早崎は1839年(天保10)に干拓された地で、幕末から明治初期にかけて商港として回船問屋などが軒を連ねたが、鉄道開通以後は衰微した。1962年(昭和37)に着工され、1998年に工事が完了した寄島干拓で、三郎島との間の海面が埋め立てられた。農業はミカン、花卉(かき)などの市場園芸を主とする。漁業は小型底引網、小型定置網、カキなどの養殖が行われている。地場産業に麦稈(ばっかん)帽、割箸(わりばし)、ストローの製造がある。三郎島には寄島園地がある。

[由比浜省吾]

『『寄島町誌』(1967・寄島町)』『『寄島町誌 第2集』(1991・寄島町)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「寄島」の意味・わかりやすい解説

寄島
よりしま

岡山県南西部,浅口市南部の旧町域。水島灘に臨む。 1901年町制施行。 1955年大島村の一部を編入。 2006年金光町,鴨方町と合体して浅口市となった。江戸時代には岡山藩の支藩鴨方藩の外港として発展した。小型底引網漁を中心とする漁業が盛んであり,麦わら帽やストローの生産量は全国有数。沖の寄島は近世瀬戸内海航路の目標とされた景勝の地であるが,島と本土をつなぐ干拓事業が完成し,外材貯木場が設けられた。一部は瀬戸内海国立公園に属する。

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改訂新版 世界大百科事典 「寄島」の意味・わかりやすい解説

寄島 (よりしま)

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