玄界島(読み)ゲンカイジマ

デジタル大辞泉 「玄界島」の意味・読み・例文・類語

げんかい‐じま【玄界島】

福岡県西部、博多湾口にある島。福岡市西区に属し、音無瀬戸おとなしのせとをはさんで糸島半島に対する。面積約1.2平方キロメートル、周囲約4キロメートル、最高点218メートル。島内急斜面が多く、段々畑による農業を行っている。近海は好漁場で、住民漁業を主とする。

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日本歴史地名大系 「玄界島」の解説

玄界島
げんかいじま

糸島いとしま半島北端、西浦にしのうら崎の北北東三キロほどの海上にある。南は音無おとなし瀬戸、北は玄界灘に面し、面積一・一四平方キロ、周囲四・四キロ、最高地点は標高二一八・五メートル。周囲は磯である。島名は初めひさ島といい、その後月海げつかい島となり、さらに玄界島と改められたという(続風土記)。百合若大臣が居住したという伝承が残る(続風土記)。周辺海域には南西大机おおづくえ島・小机こづくえ島、クタベ瀬(久多見瀬)北西はしら島、北にくろ瀬がある。大机島は「続風土記」などには釈迦牟尼島とあり、広さは東西四二間・南北一〇五間。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「玄界島」の意味・わかりやすい解説

玄界島
げんかいじま

福岡市西区、福岡湾口にある島。もと糸島(いとしま)郡北崎村に属した。音無瀬戸(おとなしのせと)を挟んで糸島半島に対する円形の島。面積1.15平方キロメートル。地質はおもに花崗(かこう)岩からなる断崖(だんがい)の険しい海岸線が続き、玄武岩が噴出、北部には岩礁が発達する。最高点218メートル。永禄(えいろく)年間(1558~1570)島民海賊に襲われて避難して以来無人島となったが、福岡藩がここを流刑地として番所を置いた。現在は漁業を主とする集落が南側斜面に階段状に密集し、山頂近くまで段々畑が開かれている。近海はタイ、イサキ、ブリなどの好漁場で、一本釣り、刺網による漁業が行われている。福岡市の博多(はかた)港から連絡船が通じ、北東岸に灯台がある。2005年(平成17)3月、マグニチュード(M)7.0の地震にみまわれ、一時、住民が島から避難した。人口567(2009)。

[石黒正紀]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「玄界島」の意味・わかりやすい解説

玄界島
げんかいじま

福岡県北西部,博多湾の入口に位置し,音無瀬戸 (おとなしのせと) をはさんで糸島半島に対する島。福岡市西区に属する。古くは久島,月海島ともいわれた。永禄年間 (1558~70) 長門国の野島の海賊が来襲して 72戸全員が宮ノ浦 (現福岡市西区) に移住したため,一時無人島となったが,慶長年間 (1596~1615) から帰島する者が出た。江戸時代には福岡藩の流刑地となり,番所もおかれた。花崗岩から成る円形の島で最高点は 218m。 100m以上のところに玄武岩が分布している。北側の海岸は海食崖が発達し,南側の狭い砂浜に漁業を中心とした集落が発達。耕地は集落の背後に階段状に開かれている。収入は福岡市への鮮魚販売が中心で,宮ノ浦と博多港に船が通じる。玄海国定公園に属する。面積 1.14km2。人口 708 (2000) 。

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