藤四郎(読み)トウシロウ

デジタル大辞泉 「藤四郎」の意味・読み・例文・類語

とうしろう〔トウシラウ〕【藤四郎】


鎌倉時代陶工瀬戸焼の祖とされる加藤四郎左衛門景正かげまさ略称。藤四郎の名は代々継承され、12代を数える。
鎌倉時代の刀工粟田口吉光通称

陶工、藤四郎の焼いた陶器。特に茶入れで、2代目藤四郎基通作とされる真中古まちゅうこをさし、初代の作は春慶唐物などと称される。
《「しろうと(素人)」を逆さまにして人名のようにいった語》しろうと。とうしろ。
[類語](2素人アマノンプロアマチュア

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精選版 日本国語大辞典 「藤四郎」の意味・読み・例文・類語

とう‐しろう ‥シラウ【藤四郎】

[1] 鎌倉初期の伝説的陶工。瀬戸の陶祖と伝えられる加藤四郎左衛門景正の略称。以後、二代藤次郎基通、三代藤三郎景国、四代藤九郎政連のほか、各代藤四郎を襲名加藤景正
[2] 〘名〙
藤四郎焼のこと。特に、二代目藤次郎基通の焼いた茶入をいう。〔俳諧・毛吹草(1638)〕
② 「しろうと(素人)」の「うと」を逆にし、さらに「しろ」を下に回して人名のように言った語。とうしろ。
※落語・道具の開業(1891)〈三代目三遊亭円遊〉「『この鋸はよっぽどあまいナア』〈略〉『イイエ、やきがまへではありません。日本橋火事でよくやけたのです』『お前は藤四郎だナ』」

とう‐しろ【藤四郎】

〘名〙 =とうしろう(藤四郎)(二)②
※いやな感じ(1960‐63)〈高見順〉四「こっちをトーシロと見ると、法外な車賃をふっかけて来ますからね」

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「藤四郎」の意味・わかりやすい解説

藤四郎
とうしろう

鎌倉時代,尾張国瀬戸焼の祖とされる加藤四郎左衛門景正の家系を継ぐ陶工の俗称。1世加藤四郎左衛門景正が略称「藤四郎」といったことに始る。景正は貞応2 (1223) 年僧道元とともに渡宋し,製陶法を学んで帰朝し,陶器に適した土を求めて諸国巡歴して瀬戸でこれを見つけ,ここに瀬戸焼を開いたという。以来,12世基時まで続いた。茶入れでは特に2世基通の作品を「藤四郎」と称する。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤四郎」の解説

藤四郎 ふじ-しろう

1828-1874 幕末-明治時代の武士。
文政11年4月29日生まれ。筑前(ちくぜん)福岡藩士。平野国臣らとまじわり,万延元年脱藩の罪で大島に流された。文久3年生野の変にくわわる。慶応2年姫島配流中の野村望東(ぼうとう)を救出。維新後,京都大属,福岡藩権大属などをつとめる。明治7年11月3日死去。47歳。名は茂親。

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改訂新版 世界大百科事典 「藤四郎」の意味・わかりやすい解説

藤四郎 (とうしろう)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「藤四郎」の意味・わかりやすい解説

藤四郎
とうしろう

加藤景正

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世界大百科事典(旧版)内の藤四郎の言及

【加藤景正】より

…瀬戸焼の開祖と言い伝えられてきた伝説的陶工。正式名を加藤四郎左衛門景正といい,略して藤四郎とも称される。生没年不詳。…

※「藤四郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」