韓鍛冶部(読み)からのかぬちべ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「韓鍛冶部」の意味・わかりやすい解説

韓鍛冶部
からのかぬちべ

韓土(かんど)渡来の鍛冶部、すなわち渡来系の新技術を有する鍛冶職集団の称。倭鍛冶部(やまとのかぬちべ)に対する。『古事記』応神(おうじん)段に、手人韓鍛(てひとからかぬち)名は卓素(たくそ)なる者を百済(くだら)から貢上した、とあるのが早い例で、以後数多く渡来したらしく、その分布は大和(やまと)、近江(おうみ)、丹波(たんば)、播磨(はりま)、紀伊讃岐(さぬき)の諸国に及ぶ。これらのなかには官位を得たり、日本姓に改姓を認められたり、郡の大領(長官)として巨富を蓄えたりする者も現れたから、韓・倭の別もしだいに不分明となった。

[黛 弘道]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

山川 日本史小辞典 改訂新版 「韓鍛冶部」の解説

韓鍛冶部
からかぬちべ

韓鍛部・辛金部・韓鉄師部とも。銅・鉄製品を鍛造する鍛部(かぬちべ)のなかで,朝鮮系の新技術を伝えた品部(しなべ)。「古事記」の伝承によると,応神朝に百済(くだら)が卓素(たくそ)という鍛冶技術者を貢上したという。その伝統は律令時代にも続き,典鋳司(てんちゅうし)は金・銀・銅・鉄を鋳造したが,「令集解」には,この司の雑工戸は鍛冶司・造兵司の鍛戸高麗・百済・新羅(しらぎ)の雑工人から抽出するとある。8世紀には韓鍛冶・韓鍛冶部姓の人々が,畿内のほか紀伊・丹波・近江・播磨・讃岐国に分布する。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

旺文社日本史事典 三訂版 「韓鍛冶部」の解説

韓鍛冶部
からかぬちべ

古代,雑工部の一つ
4〜5世紀に朝鮮半島から渡来し,鉄製の武器・馬具・農工具を製造した金属技術者の集団。畿内地方に住み,その技術をもって伴造 (とものみやつこ) に率いられ大和政権に仕えた。

出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報

世界大百科事典(旧版)内の韓鍛冶部の言及

【鍛冶部】より

…大化改新以降もその一部は解放されず,雑戸(ざつこ)の鍛戸に編成され,造兵司,鍛冶司,典鋳司等に配属された。
[韓鍛冶部]
 《古事記》応神段に百済より韓鍛の卓素が貢上されたとあり,百済系技術者を組織したもので,彼らは各地に居住し伴造(とものみやつこ)の韓鍛冶首(おびと)に率いられて宮廷工房に上番した。8世紀の文献によると,韓鍛冶(辛鍛冶,辛鍛部,辛金部,韓鉄師部,韓鍛)の名を有するものが近江,丹波,播磨,紀伊,讃岐と広く散在している。…

※「韓鍛冶部」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android